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品番がわからない場合


建築家への衝動

建築家への衝動
兄は土木から建築へ、弟はプロダクトから建築へ

いつ頃建築家になるという衝動が出てきたのでしょうか。

学氏:まず建築家という存在を知らなかったですね、ずっと高校生まで。「世界貿易センタービル」というのは印象に残っていました。小学校高学年の頃には土木に興味があったんです。ちょうどあの頃、黒部ダムのドキュメンタリー映画をやっていたりして、スケールが大きくて格好いいなと思っていました。橋もエキスパンション・ジョイントであれだけの規模の鉄になると、夏の日差しで2m位前後するなんて話を聞くと、すごいと思っていました。単純な形なんだけど、大きくなることによって、また違う問題がいろいろ起こるじゃないですか。それがスケールが大きくて男らしいなと思っていて(笑)、土木がいいなと思っていたんです。高校2、3年生でいざ就職先とか大学をどうするかとなった時に、理工系だと文化系よりもどういう方向に行くか、職業がなんとなく決まってしまうじゃないですか。その時に土木を見たら、完成にえらい時間がかかるのがわかったんです(笑)。

規模が大きいですからね。

学氏:しかも日本の地図に残るような土木の仕事を自分がトップのポジションで迎えられるかと。なんかもうちょっと早く結果を知りたいなと思って(笑)、ただなるべく大きいものを作りたいという思いは変わらなくて、それで土木の次に大きい建築になったんです。それこそ最初に見た「世界貿易センタービル」を思い出すんですけど、計算すれば柱の太さが決まって、自然にできるもので、そこに絵心みたいなものは何も求めていなくて、数学的にできるものだと思っていたんです。だから大学へ行く時に、美大の建築学科にはピンときませんでした。ただ絵を描くとか美術系のことも好きだったので、迷ったんですけれど、美術系のことは諦めようという感じで、工学部の建築学科を目指しました。

新さんが高校生の頃に、学さんはまだ建築家にはなっていませんよね。

学氏:大学には入っていました。

お兄さんの影響はありましたか。

新氏:あったと思うんですよね。僕は子供時代に真面目な学生じゃなかったので、今は真面目ですけれど(笑)。僕は洋服とか靴とかコップとか、日常のものにすごく興味があったんです。プロダクトというか、そういうものをデザインしたいと思っていました。それでやっぱり理工系だったので、大学の工学部を見ていくと、そんなにプロダクトという学科はないんですよね。
学氏:どちらかというと美術系だよね。
新氏:その中で一番建築がデザインぽかったんです。そうすると大は小を兼ねるじゃないですけれど(笑)、やっていけばそういうことができるようになると思ったんですよ。

当たっていますね(笑)。

新氏:どうですかね(笑)。

プロダクトや家具も建築空間を構成するデザインです。グロピウスもすべての芸術は建築の傘下にあると言っています。

新氏:兄は土木の規模から、僕は小さい方から建築を目指した感じです(笑)。

なるほど!うまく合体しましたね。

新氏:兄が建築なので、「ああ、やっぱり建築なのかな」と思い始めたんです。

ぴったり一致したんですね。今やそれが200%を越すパワーとなって、うまくいっているのですね。
芝浦工業大学(以下:芝浦工大)に決めたというのは。

学氏:工学部の建築学科で、自分の能力で入れるところがそこだったというだけですね。

学生時代の写真:学さん

学生時代の写真:学さん

学生時代の写真:新さん

学生時代の写真:新さん

新さんも同じ大学ですね。

新氏:たまたまです。兄も僕も浪人しているんです。僕は美大系もすべり止めで受けていて、両方受かったんですけれど、なんとなく工学部の方がちゃんとしているんじゃないかなと思ったのと、兄にも相談しているんです。

お兄さんに引き寄せられましたね(笑)。

新氏:同じ大学なんですけれど、学科は違うんです。
学氏:芝浦工大の中に今年からまとまって建築学部というのができたんですけれど、僕らの時代には建築学科と建築工学科のふたつでした。元々ひとつだった学科が分かれてふたつになったんです。 相田(武文)さんや藤井(博巳)さんという若い先生がデコンストラクションとかポストモダンとか新しいことをしようとして、つくったのが建築工学科で、そっちに弟が行きました。僕が行ったのは建築学科で、三井所(清典)さんなどで、近代建築の申し子のような感じのところでした。同じ芝浦工大でも考え方が違うんです。

相田武文氏

相田武文氏

三井所清典氏

三井所清典氏
提供:アルセッド建築研究所

三宅理一氏

三宅理一氏

山下保博氏

山下保博氏

原田真宏氏

原田真宏氏

原田麻魚氏

原田麻魚氏

ミース・ファン・デル・ローエ

ミース・ファン・デル・ローエ

バルセロナ・パビリオン

バルセロナ・パビリオン

それは全然知りませんでした。

新氏:建築工学科は藤井さんと相田さんと三宅(理一)さんが先生で、僕が行った頃には革新的で楽しかったです。
学氏:近代建築の後にはというのを皆が説いていて、ポストモダンの先駆けでしたよね。
新氏:藤井さんは海外を見ていたので、その交換留学生がいたりして、刺激的でした。

同窓にはどんな建築家がいますか。

学氏:同期にはいないですね。当時、建築学科には1年生に120、30人が入って、卒業する時には100人ちょっとでした。その中で意匠系に行ったのは40、50人だったと思います。その中でアトリエ系は10人もいません。勤めているのは大手の事務所だったりして、独立して建築家としてデビューしている人はいないですね。
新氏:同期ではいないですね。兄と同じくらいで、アトリエ天工人の山下(保博)さん。あとは僕の下で建築学科だったMOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIOの原田(真宏・麻魚)さん。
学氏:アトリエ天工人の山下さんは建築工学科で、同じ年なんですけれど知りませんでした。卒業してしばらくして、お互い雑誌とかで知るようになりました。

学生時代には何かイベントなどで体験したことはありますか。

学氏:本当に兄弟揃ってダメですね。まったく真面目な学生ではなかったですね(笑)。建築に対して目覚めてなかったんです。多分東大や東工大に行く人は、先生たちもものすごい教授で、その人を調べて、どこどこの研究室に入りたいというように野心的で、先を見ていると思うんです。僕にはそういうのが何もなくて、ただ課題が出ると設計の成績は良かったんです。なかなかAがもらえないような課題でも、A+がもらえたり、そのうちに段々、もしかして自分は建築をつくれるのかなと思い始めました。3年生の夏だった思うんですけれど、課題を持って行った時に、ある先生に「これはミースバルセロナ・パビリオンか」と言われたんです。

カッコいいですね。

学氏:この話を載せるのはどうかと思うんですけれど、僕はひどくて、ミースを知らなかったんです(笑)。それくらい建築に対して真面目じゃなかったんです。僕はミースを知らなくて、友達に「ニースの建築に似ていると言われたんだけど」と聞いたら、「それはニースじゃなくて、ミースだよ」と言われたんです。ミースとニースを聞き間違えるくらい、ひどい学生だったんです(爆笑)。

そんなことがあったのですか。

学氏:ミースがどういう人かを調べると、いろいろなことが見えてくるじゃないですか。生意気なことを言うと、半世紀も前に自分と同じ考え方でつくった人がいて、しかも実現しているんです。そこからどんどん深みにはまって、ミースのことを調べました。僕は経験的に物事を覚えるタイプで、机の上では覚えられないんです(笑)。ピンとこないんです。見たくなっちゃって、とにかくアメリカへ行こうと、夏休みからアルバイトをして、一生懸命お金を貯めました。当時で80万円必要で、親から多少援助してもらって、行けば何とかなるだろうと、休学届けを出して、アメリカに渡りました。1年間、ロスにホームステイし、夏休みにバケーションを1か月もらって、グレイハウンド・バスで全米を1周して、ミースやライトを見て回りました。

それはスバラシイ!

学氏:帰って来て、4年生に復帰しました。

ミースのどの作品が一番良かったですか。

学氏:雑誌で見たもの全部を確かめる感じでしたけれど、「クラウン・ホール」を見た時には「来たー!」と言う感じがしましたね。それから「レイクショア・ドライブ・アパートメント」。スティールがキレイで「何だよ!」と。

クラウン・ホール

クラウン・ホール

レイクショア・ドライブ・アパートメント

レイクショア・ドライブ・アパートメント

その体験があって今日があるのでしょうね。新さんはどうですか。

新氏:2年生で設計なんですけれど、最初は即日設計で、その授業で設計して提出するんです。三宅理一先生の授業で、課題がバス停だったんですけれど、やっぱり僕も「これはミースだね」と言われたんです。

えー!偶然!兄弟で同じことを言われたのですか。

新氏:最初の課題でした。僕はミースを知っていたんですけど(笑)、ミースをやろうと思ったわけではなくて、水平のカッコいいバス停をつくりました。たまたまそれは兄と重なったんですね。僕は真面目に建築の研究会に入っていて、放課後に本を読んだり、建築家の研究をしたりしていたんですけれど、途中で先輩と喧嘩して辞めてしまいました(笑)。
学氏:兄弟ふたりともでダメみたいで、大丈夫かな(笑)。
新氏:ヤバイですね(笑)。

新さんもそれ以後に何か行動を起こしたのですか。

新氏:休学はしませんでしたけれど、僕も3年生の夏休みに、1か月以上かけてグレイハウンド・バスでアメリカを1周しました。僕は建築を見るというより、子供の頃からアメリカに憧れていて、アメリカを見たいと思って、いろいろ見て来ました。

どんな建築を見ましたか。

新氏:僕は建築をあまりちゃんと調べて行かなかったんですけど、ピアノの「メニル・コレクション美術館」にえらく感動して、あれを見た時には来て良かったと思いましたね。ミースやライトも見たんですけれど、僕には特にライトが古臭く感じました。「マリン郡庁舎」もわざわざ歩いて見に行って、道路にかかるブリッジのようでスゴかったんですけれど、僕は名前が新だからなのか新しもの好きで(笑)、新しいものの方が感動しましたね。アメリカを1周して、いろいろな経験もできました。

メニル・コレクション美術館

メニル・コレクション美術館

マリン郡庁舎

マリン郡庁舎

兄弟でミースと言われたのはすごいですね。


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