建築修行時代を経て
建築修行時代を経て
懐深き兄の提案で仲良く事務所を開設
実社会に出てからの建築修行時代の話を聞かせてください。学さんはどこに就職したのですか。
学氏:黒川雅之さんの事務所です。
黒川雅之氏
提供:株式会社K&K
黒川雅之さんはプロダクト系じゃないですか。
学氏:そうなんです。ちょうど4年生の頃、SD出版から『黒川雅之の全仕事』という特集が出たんです。それを見て感動して。
彼は建築以外にもいろいろなことをやるでしょう。そういうワイドなところに魅力を感じたのですか。
学氏:それもありましたし、黒川紀章さんの方が名前は知られているけれど、紀章さんよりも雅之さんの方がプロっぽいと当時言われていて、学生の間でもそういう気配がありました。
事務所には長くいたのですか。
学氏:2年しかいませんでした。最低5年いないと物にならないと言われていて、2年で辞めているなんて論外でした(笑)。ですからシーラカンスが出て来た時にはショックでした。いきなり学生で独立して、作品をつくってしまうなんて衝撃的でした。
その後は。
学氏:半年くらいブラブラしていたんですけれど、知り合いから声を掛けられて、野沢正光さんの事務所に入りました。
野沢正光氏
提供:野沢正光建築工房
爺ヶ岳ロッジ
提供:野沢正光建築工房
山本理顕氏
懐かしい!彼の『新建築』デビュー作「爺ヶ岳ロッジ」は僕が担当しました。
学氏:そうでしたか。まったくタイプの違うふたりの建築家でした。
新さんは。
新氏:山本理顕さんのところです。
山本さんの事務所に入ったきっかけは。
新氏:今はそうでもないですけれど、当初の山本さんの作品は屋根があって、半屋外的な中間領域があります。あれを見た時に感動してしまいました。
彼の自邸もそうですね。
新氏:「GAZEBO」ですね。僕は千駄ヶ谷にある「HAMLET」という屋根がいっぱいある住宅を外から見て、すごく不思議な感じがしました。あの不思議な空間にびっくりしました。僕が入った時にちょうど「緑園都市」を設計していました。
GAZEBO©山本理顕設計工場
HAMLET
緑園都市
あれもすごい作品です。街を自身の先進的なスタイルでやっています。どのくらい事務所にいたのですか。
新氏:僕も2年だったんですよ(笑)。兄が2年で辞めたので、そういうものだと思っていたんで、兄のせいです(笑)。
学氏:喧嘩して辞めたんじゃないんだ(笑)。
事務所をつくったのは何年ですか。
新氏:1993年です。
学氏:ふたりで始めたのはそうですね。僕はその少し前からですが、その時は仕事がなくて、下請けみたいな仕事を手伝っていました。その方がお金がいいんです。ゼネコンの図面を描いたり、チェックしたり。それでお金を貯めて、どうせ暇なので、今度は半年かけてヨーロッパを旅行しました。
それはひとりですか。
学氏:ひとりで、バックパッカーで。設計をやっている人間に会ったりして情報をもらって、エジプトとかイスラエルとかモロッコとかにも行って、24カ国を回りました。ベルリンの壁が崩壊した年で、ちょうどハンガリーを出て1週間後に壁が崩壊したので、最後の東ベルリンを見ているんです。
新さんもヨーロッパに行ったのですか。
新氏:僕は兄とやるつもりは本当になかったんです。山本さんのところを辞める時に、「一緒にやらないか」と声を掛けられたのですが、兄の下でやるのは嫌だったんです(笑)。そうしたら納谷学の“学”を取って、納谷建築設計でふたり同等にやろうと話をされました。逆にふたりでやっていたら、いつでも好きに旅行とかに行けるかなと思っていたんですけれど、実際はそうでもなくて、すぐにヨーロッパには行けませんでした(笑)。
でも懐深い兄貴じゃないですか。
学氏:未だにそういう場面がないよね(笑)。
仕事が忙しくなってしまったのですね。
新氏:仕事がないとお金もないんで(笑)、全然旅行に行くのは無理なんです。
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