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品番がわからない場合


建築家への道程

建築家への道程
海外修行をも見据えた周到な人生設計

日大での先生はどなたでしたか。

3年生のゼミは谷口(吉生)さんのパートナーの高宮眞介先生に学ばせていただきました。それは人生で初めて、雰囲気に圧倒される建築家との出会いでした。4年生の時には計画系研究室の若色(峰郎)先生でした。今は、お二人とも退官されています。

高宮眞介氏

学生時代にコンペなどのイベントの体験はありますか。

大学院に入ってからコンペにはいくつか出して通っています。自分の建築観にとってコンペ以上に影響が大きかったのは、学会の学生会議の実行委員をさせてもらった体験です。早稲田の大学院に外部から入りましたが、日本建築学会の文化週間の学生部会に早稲田から僕、横浜国から高橋一平、旧武蔵工大から今、手塚事務所のチーフを務めている麻殖生龍也、その他に東大、法政、国士舘から価値観の異なるさまざまな学生が集まりました。その頃はちょうど、学部の日大と大学院の早稲田で教育を受け、一方で社会性、他方では自分から出てくる個性が正解となる異なる教育が展開していることに気づいたタイミングでした。東大の学生は国づくりの話を、慶応湘南藤沢キャンパスの学生はコンピュータ言語と建築の話をし、今まで正解だと教えられたもの以外に色々な教育による正解があることが理解できました。それは、自分の立ち位置を相対化できる、非常に良い経験でした。

大学時代の写真

今の話にはそれぞれの大学らしさが出ていますね。

そうやって相対化して、全体を見たことが、海外から日本を客観的に見たいという原点になっています。

菅原さんは大学院を修了した頃に一級建築士を取っています。ということは超頭がいいのか、コツコツとやっていたのかどちらかだと思うのですが…。

圧倒的にコツコツじゃないですかね(笑)。社会人1年目は簡単なプロジェクトですけれど、自分の仕事をしながら一級の勉強に取り組み、その後、シーラカンスに勤めました。

すぐに取りたいと思っていたのですか。

はい。一級取得までの順番が少し不思議で、卒業して、まず先にフランスに飛び込んで行って面接を受けるわけです。その時無事にJakob + Macfarlaneから採用すると言われました。しかしいい返事をもらったその場で、「それでは、試験を受けてくるんで1年後に来ます」と言って帰国しました。その1年で一級建築士の取得に集中しつつ自分の仕事をして、取得後はどこかお手伝いしながら実務経験を積ませてもらおうと決めていました。一級に無事合格して、シーラカンスに採用していただきました。

Jakob + Macfarlane
(C)A. Tabaste NB

なぜシーラカンスを選んだのですか。

大学生の頃、古谷(誠章)さんと小嶋(一浩)さん、二人の建築家に強い憧れをもっていて、大学院に進む際、どちらかの研究室にお世話になりたいと考えていました。古谷さんは「アンパンマン・ミュージアム」含め複数の作品が既にあり、「せんだいメディアテーク」の応募案も話題になっていました。小嶋さんも、「打瀬小学校」をはじめとする鮮やかな提案を持った建築を発表し、お二人とも世の中を変えるような新しい言説とともに、ものをつくる人と捉えていました。当時の僕には、古谷さんと小嶋さんのお二人が特に魅力的に見えたんです。その時には色々な縁もあり、古谷研究室に入学しました。一方で、就職時に小嶋研の入学の相談にのってくれていた大学時の先輩がたまたまパリから戻ってシーラカンスに入られました。僕のフランス行きや小嶋さんへの憧れもわかっていた上で、「サポートしながら実務を教えてあげるからおいでよ」と声を掛けてもらい、運よくシーラカンスに入ることができました。憧れのお二人に導かれるようにお世話になれたというのは非常にありがたいですね。

古谷誠章氏

小嶋一浩氏

Lacaton & Vassal

パレ・ド・トーキョウ

大学院在学中にフランスへ行くことを決めていたのですね。

フランスに限らずニューヨークや色々なところにポートフォリオを送ったんですが、たまたま反応をくれたのが、Jakob + MacfarlaneとLacaton & Vassalでした。Lacaton & Vassalは「パレ・ド・トーキョウ」の改修を手掛けた建築家です。大学院が終了した2週間後にパリに渡り面接をしたら、Jakob + Macfarlaneが「日本に興味があるし、君は変なヤツなので取る」と言ってくれました。

そういう目的のために一級建築士も取ろうと決めていたのですね。

一度海外に渡ってから帰って来ると、なんとなく取れないと思っていたので。

そしてシーラカンスで1年勉強して、実践を身につけたのですね。シーラカンスではどんなものを担当しましたか。

担当したのは武蔵村山市にあった巨大な日産の施設を宗教施設に変えるという「MURAYAMAプロジェクト」で、グランド・デザインをやりました。最終的に止まってしまったのですが。

Jakob + Macfarlaneではどんなことをやりましたか。

コンペを数知れずやりました。

Jakob + Macfarlaneはまだそれほど多くの作品がありませんね。

実現したものは少ないですね。僕が担当したものでできているのは、国際コンペで取った「デザイン・ファッション・センター」とポンピドー・センターにある「カフェ・ド・ジョルジュ」の新設したトイレとバー・カウンターですね。

デザイン・ファッション・センター

カフェ・ド・ジョルジュ
(C)Nicholas Borel

「デザイン・ファッション・センター」は移動空間が多いですね。

ファサードが盛り上がっている部分は、まさにそうです。

他の部分はどうなっているのですか。

基本的にはファッション・インスティテュートが入っていて、上にはカフェやイベント・ホールが入っています。一番下はオープン・エリアです。コンペ時はセーヌ川沿いにデッキを回して、川沿いを歩く新しい歩行経路と考えていました。しかし、大規模な計画や都市計画と絡んだものは、なかなか計画と同じものができるのが難しく、今でもその歩行空間は実現されていません。

確か元々あった古い倉庫を残すか壊すかもコンペで決めるというもので、Jakob + Macfarlaneは残す案でしたね。

残すか壊すかまで設計者に任されていることは知りませんでした。確か、1回目のコンペではマニュエル・ゴートンさんが取ったのに、なぜかもう1度コンペが開催されてしまったんです。それでJakob + Macfarlaneが取ったという不思議なコンペでした。

そうするとパリにいたのでヨーロッパの建築をたくさん見ているでしょう。

淵上さんの『建築案内』を元にかなり回りました(笑)。

建築案内

カルナック神殿

気に入った作品にはどんなものがありますか。

僕は特にコルビジェとアアルト、アスプルンドが好きで、よく見て回りました。でも、一番感動した建築はエジプトの「カルナック神殿」です。あそこには空間の強さとはこういうことか!という、迫力、緊張感があります。今はほぼ崩れてしまいましたけれど、太い柱がドーンと立っていて、昔はハイサイドからゆるやかな光が刺す場所であったと。ものがもつ強さと空間の緊張感と、歴史が紡ぎ朽ち果てた今も残っている居場所の力がすごいと思いました。

事務所をつくったのは31歳頃ですね。それも早いです。そして用意周到です。几帳面なのですね。

早め早めに手を打たないとドキドキする不安症なんです(笑)。

事務所は谷内田さん設計の集合住宅にある

門を入ると素晴らしいアプローチがある

事務所風景

普通にやっていてはダメで、一頭地を抜くには何らかの努力をしているものですよね。素晴らしいです。

そういう切り口で見ていただけているならば、ありがたいです。

学生時代の同期にはどんな方がいますか。

Nendoの佐藤(オオキ)や最近「エルメス京都」をやった鬼木(孝一郎)は古谷研究室の同期です。住宅を中心にやっている山本卓郎も同じです。3、4つ下にはEurekaの稲垣(淳哉)くんや佐野(哲史)くんがいて、先輩には吉村靖孝さんやスターパイロッツの三浦(丈典)さんがいます。


佐藤オオキ氏


山本卓郎氏


稲垣淳哉氏


佐野哲史氏


吉村靖孝氏


三浦丈典氏


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