- 1.建築家紹介
- 2.名建築家の言葉の影響
- 3.コンペの勝利で大きな飛躍
- 4.魅力が倍増するリノベ
- 5.京町家リノベの手練
- 6.都市彷徨への誘い
- 7.建築作品ギャラリー
京町家リノベの手練
京町家リノベの手練
京町家からホテルを生み出すリノベーションの腕前
今日は「西都教会」も見せていただきましたが、天井から入ってくる光が柔らかいですね。住宅以外にもいろいろやっているのですね。どんなものがありますか。
住宅以外では「嬉野温泉病院」のような病院、それから「東金市産業拠点交流施設」という公共建築で道の駅のような施設もやっています。
コンペもやっていますか。
コンペは一時期やっていまして、最近はあまりやっていなかったんですけれども、またやろうと思い始めているところです。
魚谷さんはリノベーションが得意だと思いますが、新築をやる場合にもリノベーション的なテイストが入ってしまうことがありますか。
周辺環境を活かしつつ空間にヒエラルキーをつくり、それに伴ってできたルールに従ってプランニングからディテールまで決めていきつつ、どこかでルールを破るようにして設計しています。改修する時も同じように設計しています。改修する時もそこにある空間の中から何らかの空間のヒエラルキールールを読み取り、それを活かしつつ、ヒエラルキーを再構築すべく、新たなルールが設定され、そのルールに従いつつ、同時に裏切りながら空間をつくっていきます。そういう意味では新築と改修であまり違いはないです。
新築の「一乗寺の住宅」の空間も大きいですが、新築でも大きな空間を狙っているのですか。
予算にあまり余裕がなかったのでまずは空間だけでも大きなところに住んでほしいと思いました。「一乗寺の住宅」ではそのような大きな空間にまず柱梁があるんです。次に床が張られて、次に家具が置かれます。京都という都市に当てはめると、グリッド・パターンが柱梁、地割りが床板、建築が家具にあたるかもしれません。
「鹿島の森の住宅」はアクセス側から見ると非常に大きい住宅ですね。
「鹿島の森の住宅」では、住宅というよりも、まずはスケールも含めてあの森に相応しい建築はどのようなものかと考えました。その建築の用途がたまたま住宅だから大きく見えるのだと思います。
集合住宅もいろいろやっていますね。道路側の表ではなく裏側にウエイトを置いていて、それが集合住宅の場合には大きな共通の庭みたいになるわけですね。
そうですね。ただ厳密に言うと「府庁前の集合住宅」「田中西春菜町の集合住宅(松葉荘)」「西ノ京のシェアハウス」では少し違っています。いずれも街区の中央に庭を取るようにしているんですけれども、敷地が「西ノ京のシェアハウス」と「松葉荘」は京都の外れで、「府庁前の集合住宅」は京都の中心市街、また街区の中での敷地の位置も異なるので、庭というか空地の採り方がそれぞれ微妙に違います。
魚谷さんの思う中庭のメリットは。
中世京都には街区の中央に空地があって、それが個人の庭に変わり、通りは生活空間として残ったんだけれども、今は通りも車に支配されています。そういう現代では、生活空間として活用すべき外部空間は通りではなく、街区の中央なのではないか。近世ではなく中世の京都の住まい方を参照できるのではないか。そのような街区構造をつくってはいけないか。街区の中央に空地を集め、そちら側にバルコニーを設け洗濯物を干す。逆に通りの方にはバルコニーを取らずに、ファサードを整える。
高齢者から若いファミリーまでいろいろな人々が暮らしていると思います。中庭でいろいろな人々が顔を合わせるという繋がりから新しいコミュニティの効果はありますか。
そうですね、庭を仕切る垣根が低くなれば街区中央に連担する空地が共用地となります。そこは不特定ではなくて特定多数の人の場所となるので、車だけではなく犯罪からも守られるかもしれません。そこで子供がお年寄の世話をし、お年寄が子供の面倒をみるような相互扶助の場となれば不足気味の高齢者施設や保育施設の役割の一部を担えるかもしれません。そのようにして道路がモータリゼーションに支配された現代においては、コミュニティの舞台がオモテの通りからウラの街区中央に移ってもいいのではないかと思います。街区の寸法の大きな京都だから可能なことだと考えます。
東京では隣に誰が住んでいるのかわからないというように人的関係が薄い傾向がありますが、「松葉荘」を見ていると、助け合ったり、庭に縁台を出して一緒に飲んだり、暖かい関係が生まれそうです。
必ずしもベットリと仲良くなる必要もありません。「松葉荘」は「西ノ京のシェアハウス」に比べるとプライバシーが確保されています。「西ノ京のシェアハウス」ではLDKを共用しています。「松葉荘」は外部空間である庭は共用しているけれども、LDKは共用していません。1階の各住戸と共用の庭との間には緩衝空間のピロティがあります。皆で同じ庭を見て、過ごして、何となく自然と会話が生まれて、仲良くなるかもしれない。そうならなくても構わない。それくらいの距離感もいいのかもしれません。
雑誌に掲載されていた写真を見ると、ガラス窓が大きくて、顔を合わせるだろうと思いました。
住戸のガラスとガラスが向き合っているわけではありません。あくまで皆庭の方を向いている。お互いに見せ合っているわけではなくて、皆が同じ方向を見ているような距離感にしたかったんです。
「府庁前の集合住宅」を実際に見て、NETで見たのとは違うと思いました。NETでは伝わりませんね。住宅、集合住宅、それから今日はホテルも見せていただきました。
もちろんNETや写真の見映えではなく、実際の空間について考えて設計しています。ホテルは、「御所西の宿群」ですね。京都では路地の奥に荒廃した空き家がたくさんあります。「御所西の宿群」もそうでして、町家の空き家がオモテに2軒、長屋の空き家が路地の奥に8軒ありました。路地奥は再建築不可能ということもあって、長屋が荒廃しつつもかろうじて取り壊されずに残っています。その路地の街並みをどうにか残したいという時に、一軒一軒を一棟貸しの宿にして、それが集まって全体としてひとつのホテルにできないかと考えました。
何軒あるのですか。
全部で10です。
10室というのですかね(笑)。
10室というか10軒というか(笑)。一部柱壁を共有していて建物数で言うと4棟になります。建築基準法上用途変更の確認申請は4つですが、旅館業法上の申請は10つなんです。
2階建てでしょう。宿代は高そうですね。
そうですね(笑)。まあまあ高級仕様です。インバウンドに食われてしまうのではなくて、逆にインバウンドを利用して、荒廃した長屋群を構造からしっかり健全化し、かかった分は宿泊料で回収する。インバウンドが落ち着いた際には、再度住宅として活用することもできます。宿泊の客室と住宅とではプランも似ていますし。
確かにそうですね。フレキシブルにつくっているのですね。
おおらかということに繋がるのかもしれませんけれど、フレキシブルというか大雑把な空間が嫌いではないというか(笑)、ガチガチに設計して、ここにこんな家具を置け、ここからのトップライトに感動しろという建築はあまり好きではありません。大雑把に見えるようにすべく緻密に考えて設計しています。
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