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品番がわからない場合


魅力が倍増するリノベ

魅力が倍増するリノベ
路地・庭のある京町家リノベーションの素晴らしさ

京都には独特の街の構造というのがあるのでしょう。

それを話すと2時間かかります(笑)。

なるべく短く、どういうものか教えてください。

どこから話せばいいでしょう。およそ1200年前に平安京がつくられました。その時は街区の大きさが120m角なんです。これは結構大きいんです。初めはそれを4×8に割ったものを最小単位に土地区画されていたんですけれども、段々道沿いに住むようになっていきます。町家の発生です。そうすると中に空地ができていく。その空地を共有地にして、共用のトイレとか、物干し場とかがありました。ウラにそういう場所があるから、オモテの通り側を綺麗にできる。街並みが形成され、通りは商いで賑わいました。オモテとウラの屋外空間を有効に活用していました。そのうちウラの共有地を塀で囲って、私有の庭にし、街の中に自然景観を見出したのが近世の京町家です。今の京都は、近世の京町家がすごくいい、町家と言えば近世という感じです。でももしかしたら通りが車で支配されている現代においては、近世よりも中世の住まい方を参照したほうがいいのではないかと思ったりもします。

四行八門(4×8)

中に空地

京都の路地

なるほど。

皆通りにそって建物を建てたがるので、敷地が鰻の寝床状の細長いものになります。そのうち商売がうまくいかなくなると、敷地の奥の方の庭や蔵を取り壊して長屋を建てて賃貸借したりします。通りから長屋にアプローチするためにつくられたのが路地です。そういう京都の鰻の寝床状の敷地とか、そこに建つ町家とか、路地といったものは街区が大きいゆえに発生しています。当初の計画とは異なる住まい方をされたあげく、街区の真ん中に土地が余ってしまい、計画としては失敗かもしれません。ただその余った土地をどう使うかということに工夫がなされ、町家のプランや路地が発明されます。そういったことがすごく面白いと思っています。

現在はどうなのですか。

現在でも通りに沿って壁面線の揃った街並みを形成しつつ、街区中央では空地が連担して植物が生い茂り、洗濯物が干され、猫が走り回るなど、整然としたオモテと雑然としたウラの名残を残す街区もあります。そのようなウラの様子はオモテからは窺いしれません。でも多くの街区でそのようなオモテとウラの対照性が消失していっています。屋外駐車場によって、街区がスカスカの歯抜け状になり、ウラの様子がオモテに曝け出されていたり、街区の中央にマンションが建設されてしまって空地が消失してしまっていたり。路地奥の再建築不可のウラ敷地が街路に面するオモテ敷地に回収される形で合わさって大きな敷地になり、街区の中央にマンションが建設されるような事例が多いです。

魚谷さんの作品を見ていると、裏に庭があるものが多いですね。

京都の仕事が多いからだと思います(笑)。京都で仕事をする時には基本的には、オモテを低くするのではなくて、通りに沿って建物の壁面線をつくって、ウラに空地を設けるのがいいというふうに考えています。

今までにいろいろなタイプのリノベーションをやっていると思いますが、具体的にどんな作品がありますか。

まずは、「頭町の住宅」「永倉町の住宅」ですね。これらは路地奥の三軒長屋を一軒にしていますけれども、長屋という建物だけではなくて、路地という地割りを残すということに繋がっていきます。あるいは三軒を一軒にしているので、空き家対策にも繋がっていくのではないかと思っています。例えば一軒空き家があって、空き家対策により誰かが引っ越してきました。でも空き家の数は減っていません。三軒を一軒にすると、空き家が三軒減って、一軒増えているのでプラスマイナスで空き家数は2減っている。路地奥って再建築不可なので安いんですね。古今東西、スラムって都市の郊外にできてきたかと思います。でも京都では都市のど真ん中に、僕のようなあまりお金のない人間でも楽しく住める余地があるんです。そのようなまちなか居住にも繋がるモデルになるのではないかというのが「頭町の住宅」と「永倉町の住宅」。

頭町の住宅 (C)池井健

永倉町の住宅 (C)笹倉洋平

自邸の縁側で

自宅がありましたが、作品名は何と言うのですか。

それが「永倉町の住宅」です。建築家の自宅というと特殊なものに感じるかもしれませんが、特殊なものというよりは、汎用性のあるモデルをつくりたかった、普通のものをつくりたかった。プランニングも特別なことはしていなくて、スケルトンにした上で壁1枚と床1枚入れたくらいです。

三軒長屋を一軒にしているのですね。

三軒長屋のうちの二軒と別のもう一軒の計三軒を改修して一軒の住宅にしています。

距離的には前のままなのですか。

前のままです。外形も変わっていません。

客室が離れになっていることに驚きました。

元々あそこは繋がっていなかったので、繋げてしまうと増築になってしまい、路地奥での増築は違法になってしまいます(笑)。外形が変わったり、床面積が増えるのはまずいんです。何をしてもいいというわけではなくて、よりよくなる方向での改修なら構わないということです。

そうだったのですか。でも結果としてカッコいいですよね。そういう意味では「新釜座町の町家」は豪華ですね。外部が内部に侵入してくるような感じで、庭が4つ位ありました。「永倉町の住宅」にも庭が2つありましたね。

「永倉町の住宅」の外部空間はニワとロヂとアキチと名付けています。庭は見るため、路地はアプローチするため、空地はほったらかしたまま(笑)。空地ではたまにバーベキューをしたり、普段は猫が走り回っていたり。

新釜座町の町家 (C)笹倉洋平

暗くて小さいイメージの家に外部空間が入ることで、こんなにリッチになるのかと思いました。

「新釜座町の町家」では建物だったところを減築して、中庭をつくっています。

「壬生東檜町の住宅」は新築ですか。

改修です。これも町家で細長い敷地で、町家はオモテからウラに空間が抜けていくような平面になっているんですけれども、立体的に抜けるようにしたいと考え、オモテの1階からウラの2階に向けて抜けていくような断面になっています。

壬生東檜町の住宅 (C)池井健

壬生東檜町の住宅 (C)池井健

自分の設計コンセプトと組み合わせてリノベーションをやっていくのは大変ですが、先ほどおっしゃっていた法的に自由にできるという部分もあるのはいいですね。

ただ単に建物単体を残すだけではなくて、リノベーションよって都市の構造に関わっていくことができるのではないかと思っています。

建築家にはクリエイティブな要素が必要ですが、リノベーションにはそういうものをますます養うような条件がありますね。

どう都市に関わるかという社会性とは別に空間性という意味でもリノベーションは面白い。自分で新築する時には絶対にしないようなことを受け入れなければいけないんですね。それはすごく面白いです。例えばさきほどの「壬生東檜町の住宅」のファサードでは既存の赤いタイルの上からモルタルでしごいて白い塗装をしています。遠くから見たら真っ白ですけれども、近くで見るとモアっとタイルの模様が浮かび上がってくるみたいな、そういうことは新築では絶対にしないですね。それはリノベーションだからこそでき上がるファサードです。

今日はいろいろな作品を見せてもらいましたが、魚谷さんの作品は空間が大きいですね。

改修は特にそうかもしれません。つまり町家とか長屋というのは、元の空間スケールがちょっとこぢんまりしています。そのままだと窮屈な感じがしてしまいますので、吹き抜けをつくるなどしておおらかな空間にしたいというのがあります。

どの作品もおおらかでした。東京の住宅はあんなに豪邸ではありません。

大きく感じるだけで、実はそんなに大きくないんです。

切妻の屋根スラブのところまで抜けていて、2階の天井もない大空間でした。

もともとは2階には平天井が張られているのですが、それを剥がして勾配天井にしています。吹き抜けが多いのは床を張るお金がなかったというのもあるんですけど(笑)。

いつでも張ることはできるのでしょう。

将来的に張ることは考えられますね。


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