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品番がわからない場合


コンペの勝利で大きな飛躍

コンペの勝利で大きな飛躍
「京都型住宅モデル」コンペの勝利で運命を掴む

卒業した後はどこかの事務所に入りましたか。

卒業する直前までずっと修士論文を書いていて、書き終わって4月になって、学校に行く理由もなくなって、1か月間ボーッと本を読んでいたら、何となく気持ち悪くなってきて、これが不安というやつかと。その時に大学の先輩たちが共同で事務所をやってはって、「暇してるんだったら来る?」と言っていただき、「行きます。行きます」と。

それはお手伝いですか。

事務所をシェアする感じで、自分で仕事を取ってきて、そこでやったり、事務所にきた仕事をやらせてもらったりしていました。もちろん自分で取ってくるような仕事はあまりありませんでしたから、塾の先生とかもしていましたけれどね(笑)。

そうすると大学の恩師は布野さんで、実務の先生はいないのですね。

恩師は布野先生です。それから研究室に今は高知工科大の渡辺菊眞さんが先輩でおられて、一緒に神社とかお寺を見に行ったり、毎晩お酒を飲みながら建築の話をしたりして、そこで建築について考えることを鍛えられたように思います。あとは4回生の時に学校を休学して、安藤忠雄先生のところでアルバイトしていました。その3人の影響をすごく受けています。社会に出てからは、もちろん共同で事務所をしていた先輩や後輩。それからたまたま現場の横が若林広幸さんの事務所ということがあって、いろいろ教えてもらいました。現場に行って、現場監督さんに何を言っても、「無理」「無理」「無理」と言われて(笑)、どうしたらいいのかわからないから、若林さんのところにコンコンコンって行って、「教えてもらえませんか」と言ったら、すごくいい方で、「いいよ」と言ってこちらの現場に来てくれて、「こういう時にはこう言ったらいいんだよ」と教えていただきました。

渡辺菊眞氏

安藤忠雄氏

若林広幸氏

吉村篤一氏

マッサージのお店

そんなことがあったのですか(笑)。

それから住宅のコンペで1等を取った時に、審査員の一人が吉村篤一先生だったということがあって、吉村先生にも設計を教わりました。

魚谷さんは布野先生以外にもいろいろな方に…。

建築家以外の方も含めいろいろな方に。

最初の仕事はどのようにきたのですか。

最初は知合いの知合いです。コンペみたいなもので、3者の中のひとりに入れてもらって、選ばれました。総額100万円のマッサージのお店で、友人らと、自分たちで木を切って、ペンキを塗って、つくりました。

その後は。

さきほど話した吉村先生が審査員をされていたコンペがあったんです。それが今の京都に相応しい住宅のモデルをつくりましょうというコンペで、それはもう1等を取らなきゃと思って(笑)、大学の先輩と後輩の3人で応募して、90位の応募の中から1等を取ったというのがありました。

特命で取るよりもコンペで取るのは社会的な評価が違いますからね。

そうですね。学生の時にはコンペとかやったことがなかったので、あれが初めて出したコンペでした。

「京都型住宅モデル」ですね。まとまっているし、ファサードがキレイです。あれで運命をつかんだという感じですね。

その前にも住宅のプロジェクトがあったんですけれども、途中でうまくいかなくなってしまったので、あれが初めて実現した住宅です。

京都型住宅モデル (C)杉野圭

何年の作品ですか。

僕が28歳の時だったので、10年前ですから2006年頃ですね。

それ以降はずっと忙しかったでしょう。

その後も暇でしたけれども、少しずつ仕事が増えてきました。

現在、どの位作品がありますか。

60か70位だと思います。

リノベーションと新築ではどちらの数が多いですか。

ちょっとだけリノベーションが多いです。初めは新築のほうが多かったんです。そもそも布野先生に焚き付けられて、改修ではなくて、現代の京都において新しい住宅や集合住宅のモデルをいかにつくるかが、僕の中で重要でした。ですからあまりリノベーションをするつもりはなかったんですけれども、たまたまそういう仕事の相談をいただいて、それはそれで仕事をする意味があるというふうに思って始めたので、どちらかというとリノベーションをするようになったのは最近です。

京都には魚谷さんのような人が必要です。

いえいえ(笑)。どちらかというと今まで、京都に対しては街並みばかりが言われていました。けれども街並みだけではなくて、地割りのような都市構造も重要だと思いますし、町家をリノベーションするにしても、何となく町家っていいよねではなくて、なぜ残す意味があるのかを考えて改修する必要があるというのは意識しています。

これからもリノベーションは積極的にやっていくのでしょう。

そうですね。でも同じようなことを繰り返しているつもりはないです。例えば路地の奥のリノベーションをすることによって、建物だけではなくて路地とか地割りも残すことに意味があるということをやりたい。あるいは例えば大きな町家を店舗ではなくてシェアハウスにすることで、大きな町家を改修するのに居住用途という選択肢をつくりたい。毎回新たなモデルをつくっていきたいです。自分でつくったモデルを自分で繰り返しやるのではなくて、少しずつでも違うモデルをつくっていきたいです。

モデルのクリエーターですね。木造のリノベーションはやりにくいと思うのですが、その辺は実際にはどうですか。

僕もそう思っていたんですけれども、仕事をしてみるとまったくそういうことはなくて、伝統木造の軸組構造というのは柱梁でできているので、自由に壁とか床を抜けるんです。ですから1回壁床を抜いてしまって、新たに自由なところに壁と床をつくれます。それはRCではなかなか難しい話です。

木は腐るでしょう。

腐ったら腐ったところを切断して、腐っていない木材で継げばいいですよね。例えば柱が邪魔だったら、柱を取っ払って、梁を太くしても構いません。すごく自由なんです。

そうやって聞くと自由度はありますね。リノベーションの元になる建物は古いものでないとできないのですか。

新しいものでもできるんですけれども、昭和25年以前のものがやりやすいです。なぜかというと建築基準法ができる以前のものなんです。ということは既存不適格であることを証明する必要もなく、改修にあたって現況よりも改悪さえしなければいいんです。

それは法的にということですか。

合法的に現行の基準とは違う考え方で設計ができるんです。例えば構造に関しても古い建物に合わせた考え方で計画ができます。今の基準をむりやり当てはめる必要がありません。もうひとつ面白いのは、結局合法的に現行の基準とは違う考えでできるというのは、要は建築家と施主との信頼関係で、構造をどうしようか、防火をどうしようかと検討できるんです。今は一般的には基準は建築基準法じゃないですか、そうではなくて、そういう規則ではなくて、個人と個人との信頼関係でつくっていけるんです。

それで役所も通るのですか。

通ります。すごく面白いですよね。

京都以外でもそうなんですか。

京都以外でもそうですね。特に京都には昭和25年以前、戦前の建物がたくさん残っていますが。

クリエーターとして建築家は自由にできますね。

比較的に自由です。もちろん不自由もありますけれども自由な部分もあります。

古い家は軒を連ねていて近いですが、火災についてはどうですか。

それも物件、物件で、もちろん考えますし、まわりに迷惑をかけないことも考えます。お施主さんとも話し合って考えるんですけれども、古い家ばかりのところで、自分のところだけが頑張っても仕方がないかもしれません。そこで場合によっては燃えないように頑張ると同時に、すぐに逃げれるようにもしておくということもあります。

木でも延焼をストップするような壁の開発などはやっていないのですか。

そういうのもしています。場合によっては防火性を高めた設計もしますし、そもそも火事が起こりにくいようにするとか、いろいろあると思います。火事が起こった時に消しやすい設計や、避難しやすい設計もあります。燃えにくくすることが唯一の防災対策ではありません。条件に応じたそれらのバランスが大事だと思います。


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