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品番がわからない場合


多数のコンペに挑戦

多数のコンペに挑戦
コンペのチャレンジ精神溢れる夫婦ユニット

昨年、群馬建築ツアーを行って世界遺産になった「富岡製糸場」、そして実施コンペだった「上州富岡駅」を見させていただきました。コンペにはよく応募するのですか。

武井氏:できるかぎり応募しようとしていますね。

富岡製糸場

上州富岡駅

「上州富岡駅」コンペのライバルにはどんな建築家がいたのですか。

鍋島氏:応募総数は359件で、2次審査には7名が残っていました。

武井氏:2次審査に進んだ方は、藤本壮介さん、谷尻誠さんらでした。

パブリックなものは「上州富岡駅」が初めてですか。

鍋島氏:「カモ井加工紙第三撹拌工場・史料館」という工場の中でも見学可能な建物を手掛けたことはありますが、完全にパブリックなものは初めてです。

カモ井加工紙第三撹拌工場・史料館 (C)DAICI ANO

ホームページにはコンペ歴が掲載されていませんでした。未完の作品として応募歴や入賞歴を掲載している建築家が多いのですが、TNAのホームページには何も掲載されていなかったので、初めての応募でコンペに勝ったのかと思いました。

武井氏:事務所を始めて5年位経てからコンペにチャレンジをするようになりました。コンペを出すようになって1年位して、少しずつですが2次審査まで進むことができるようになりました。

どんなコンペに応募していますか。

武井氏:もうすぐ完成する「京都府新総合資料館」の設計競技に応募して2次審査まで進みました。今までずっと緑地であった希有な敷地だったので、図書館の屋根と外壁を緑で覆い、この先100年以上先まで緑を引き継いで、新しい京都の「庭」をつくるという案でした。

「京都府新総合資料館」応募案 (C)TNA

それは「上州富岡駅」の前ですか。

鍋島氏:後です。その前には熊本県の「球磨工業高校管理棟」のコンペに応募しました。この時、初めて優秀賞をいただいたのですが、これが良い経験になったと思います。「上州富岡駅」の設計競技の3か月前のことです。

「球磨工業高校管理棟」応募案 (C)TNA

コンペをオーバーラップしてやっていたのですね。

武井氏:そうですね。さらにその前に「共愛学園前橋国際大学」のコンペにも参加しています。

「共愛学園前橋国際大学」応募案 (C)TNA

海外に「CUBE-HOUSE」という作品がありますが、海外のコンペにも応募しているのですか。

武井氏:はい。今は海外のプロジェクトが数件進んでいます。

CUBE-HOUSE (C)DAICI ANO

海外ではどんなコンペに応募していますか。

鍋島氏:台湾、韓国、フィンランド、ハンガリーなどでパブリックな建築のコンペに応募しています。上海の教会の指名コンペにも参加しました。

コンペはやっていないのかと思いましたが、ずっと腕を磨いていたのですね。

鍋島氏:前職では住宅ばかりを担当していたものですから、私たちは経験の面でコンペの参加資格から外れてしまうことが多いのです。残念ながら限られたコンペにしか参加できません。

武井氏:今はプロポーザルコンペが数多くありますが、その中でも経験や事務所の規模による参加資格の条件の緩いコンペには参加するようにしています。

これまでもおふたりは有名でしたが、公共的な作品をやることによってさらに名前が知られることになりましたね。おふたりの建築的な能力の爆発ですね。次回の爆発はいつになりそうですか。

武井氏:いつになるのでしょうね(笑)。

このコンペに応募しようと思った理由は、先ほどおっしゃっていたような条件からですか。

武井氏:応募要項が出されたのが2011年の4月で、東日本大震災の1か月後でした。あのような日本を揺るがす大きな出来事があった直後の本格的な設計競技でした。あの頃は「もの」をつくるというよりも、人と人との絆で建築をつくっていくみたいな、そういうリアルな建築に対する不信感というか、社会の雰囲気がありました。そんな中、応募要項の隈研吾さんの言葉にハッとさせられました。地震で何もかも失った地面の上でも、人が安心して暮らせ、人々をひきつけ、人々を癒すような「町は可能なのか?」と。その町の顔となるような「駅はつくれるのか?」と。あえてこの時期にコンペを開催することで、建築を問い正している気がしました。われわれはずっと建築をつくってきましたから、建築を設計することで応えなくてはいけないと強く思ったのです。それが、応募するきっかけです。

それがいいほうに出たのですね。

鍋島氏:「上州富岡駅」はプロポーザルコンペではなくて設計競技でした。当初は駅舎のみの提案でしたが、幸運なことに、駅単体だけでなく、周辺の広場や隣の公園、歩道や駐車場など、建築の分野だけでなく、土木の分野にも携われたことが良い経験になりました。

武井氏:人で選ぶ、すなわち過去の経験ではなくて、設計案で選ぶ、すなわち未来に向けてチャレンジした素晴らしいコンペだったと思います。私たちのような未経験者に町の顔を設計する機会を託していただいたわけですから、関係者の方々には感謝しています。

案が良かったということですね(笑)。「上州富岡駅」を実際に見学して、サンティアゴ・カラトラヴァの「シュテーデルホーフェン駅」を思い出しました。チューリッヒにあるスティールとガラスの駅なのですが、改札がなく、街と続いています。よく覚えていないのですが、「上州富岡駅」に改札はありますよね。

武井氏:あります。ただ自動改札ではないんです。地方駅を訪れるとまだ残っている、昔ながらの船形の改札を新しくつくりました。古い駅舎にもあったような、駅員さんが一人立つことのできる程度の、軽やかな改札にしました。改札を設計するという貴重な経験でした。

シュテーデルホーフェン駅

上州で空っ風は有名です。寒い風が吹くのにあの案で何も意見はなかったのですか。

武井氏:まず最初にその要望がありました。案を見ると全部外部だけれども、駅は囲ってほしいという要望です。

鍋島氏:待合いの大きさは元々あった駅より少し大きいサイズにしました。建替えですからあまり大きくすることも出来ませんし、実際、空間を大きくすると空調のランニングコストが過大になってしまう面もあります。そのため必要最小限の空調された待合室を確保しました。そして利用者の増大に対応するように、また季節によっては引戸を開けて暖かいスペースを広げられる工夫をしました。

武井氏:駅というとガラス張りのイメージがあります。ただスイスなどで山岳鉄道に乗ると、ホームはあるのですが待合室は極端に小さくて、その中はしっかり空調されています。人の居場所だけ最低限に室内化して、あとは街に開放されたような場所になっている。それと同じように考えました。

鍋島氏:逆に群馬県は夏にとても暑くなります。そこで夏にはガラスの引戸を開け放して風通しをよくするようにしました。空調をできるだけ使用しないように、大きな屋根と下屋の二重の屋根によって、日射しを大きく遮っています。富岡市には日を遮る大きな木などがある広場がありませんでした。そこで大きな屋根をかけ、日を遮ることができる縁側のような駅前広場にしました。

武井氏:九州の湯布院駅では改札口がガラスの引戸になっています。列車の到着の前には、その引戸が開いて列車の到着時間を知らせてくれるのです。

鍋島氏:そして駅員さんがキャスター付きの改札を横から出してくる。それが駅前のロータリーからよく見えるんですよね。上州富岡駅でも駅の大屋根の下全体が待合いになっていて、時間がきたら駅員さんが改札に立って切符を切るという、縁側のような人々の普段使いの居場所が、列車の発着に応じて駅に変わるというのが「上州富岡駅」なんです。

おふたりは今後もまた重要なコンペを取るような気がします。

武井氏・鍋島氏:ありがとうございます。そうおっしゃっていただけると、これから応募する励みになります (笑)。


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