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品番がわからない場合


作風について

作風について
木下流「最適化する建築」の極意

次に作風について聞かせてください。木下さんの作風は定義するのはすごく難しいんです。木下さんの作品はバリエーションが多くて、フィジカルなものもノンフィジカルで状況的なものもあります。木下さんはそういうものをひっくるめて「最適化する建築」と言っていますが、木下さんの言う「最適化する建築」とはどういうものなのか。木下流の建築理論を教えてください。

建築理論といわれると難しいですね(笑)。未だに自分でも模索しているので…。ただ、先程も触れましたが、大学生の頃からプログラム的なところから形をつくっていきたいという思いがあったのと、もうひとつ建物の良し悪しの判断がどこからくるのかがよくわからないという思いがありました。メディアで良いと言われているから良いと思っているだけなんじゃないかと(笑)。そもそも自分がそう思っていること自体も根拠がよくわからないと思ったんです。そういう意味では自分の身体感覚をあまり信用していないのかもしれません。

今は違うでしょう。

今はちょっとずつ違う感じがしてきましたけれど、当初は全然信用していなくて、むしろ客観的なものを集めてきて、それを組み立てた結果が建物だというふうにしたかったんです。

これからは逆に木下さんのデザインしたもので組立てていくようになると思います。そうでなくては面白くありません。岸さんがオリジナリティの話をしていたというのは。

学生の頃は自分のオリジナルなものだと思い込んで課題とかをつくるじゃないですか。ところが「そんなものはあるよ」とつぶされるわけです(笑)。確かにゼロから何かが出てくるというのはないのかもしれないとその時に思いましたけれど、どちらかというと学生に対して「もっと勉強しろ」ということだったのかもしれません。何も知らずに自分が初めて思い付いたと思ったら、大間違いだと(笑)。

それで木下さんはどうして「最適化」という言葉を選んだのでしょうか。

そうやって岸先生のところではオリジナリティがないと言われ、あまり夢を見させてくれないんです(笑)。現実を突きつけてくる感じで、それでも建築家になりたければ、アトリエ事務所に行けという教育方針でした(笑)。とはいえ建築家になりたいので、プログラムを緻密に組み上げていく印象があったシーラカンスに入って、実務を経験しました。担当したのが公共施設で、担当は役所の営繕課だったりするのですけれど、その先には見えない不特定多数の人たちがいて、その人たちのための設計というのは、ひとつの物事を決めるために、常に3、4個の案をつくって、打合せにその資料を持って行くと、それぞれの案に対して○×を付けて案の特徴を示し、だからこれがいいでしょうというのを延々繰り返すというものでした。その時にこうやってものをつくっていくんだと身をもって経験したと同時に、建築家の思いだけでは建築はできないんだということを実感しました。そういう下地があって、独立後最初の「JFEケミカル・ケミカル研究所」で会社の担当者やトップの人たちを説得しなければいけないとなった時に、シーラカンスでの経験を活かし説得できる資料をつくるわけですが、研究所なので当然超理系の人たちで、感覚の話ではなく、すべてに説得力のある理由が必要でした。ひとつの形を決めるのに、設備があって、構造があって、意匠があって、法規があって、コストがあってというのを条件として全部インプットして、それらを最適な状態で出した時に初めて全員の合意が得られるという感じでした。そうすると実際に皆が納得してくれるし、当然担当者もそうやって論理的に最適化された答えは上の人に説明しやすいんです。こうして合意形成する上で、条件を切り捨てずに最適化していくというのが有効だと確信しました。その後もまずクライアントから一通り要望を聞き、当然法規も調べて、敷地の条件も調べて、それらをなるべくフラットに並べて、それに対して最適なものを導いて、それが自然と形になっていくという状態を目指してやっています。

それをやるのは結構大変でしょう。

そもそも条件を踏まえて建物をつくるというのは当たり前といえば当たり前なのですが、その条件を一旦はなるべくフラットに考えることが大切で、そこが大変です。どうしても経験値が上がっていくと、無意識に条件を整理してしまうし、そのほうが条件がシンプルになって設計としては楽ですから(笑)。でもそれをやってしまうと、本当はそのプロジェクトにとっては大切だった部分が抜け落ちてしまうように思います。


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