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品番がわからない場合


ユニットのスタート

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ホテル・クラスカで暮らし(仕事)始めたふたり

理科大を卒業後、シーラカンスを事務所として選んだのは。

S:実家が横浜だったということもあって、理科大から横浜国大の大学院に行ったのですが、学科は都市計画で、先生は小林重敬さんでした。実はその大学院時代に山本理顕さんのところで2年くらいバイトをしています。山本理顕さんは今もそうですが、特にその当時「岩出山中学校」「はこだて未来大学」などたくさんのコンペを取っていて、鳥取砂丘で博物館をつくるというコンペでファイナルに入っていました。そのコンペで1等を取ったのはシーラカンスK&Hで、それをやりたいというのがすごくあって、シーラカンスK&Hの門をたたきました。

山本理顕氏

鈴野さんはメルボルンに行っていますね。

S:シーラカンスK&Hにはメルボルンから来たスタッフがいたんです。彼の奥さんもアトリエワンの塚本(由晴)さんの研究室にいた人で、日本にふたりで来ていました。僕は彼からいろいろな刺激を受けました。その彼が日本でいろいろ吸収してオーストラリアに帰ってしまったときに、僕はオーストラリアの建築を全然知らないと思いました。その頃はグレン・マーカットの名前もそれほど浸透していなかったように思います。ただオーストラリアに行くだけではつまらないので、彼と仕事をできるほうが面白いと思って、日本の実施コンペの要綱を持って行ってふたりでやることにしました。逆に日本のコンペを一緒に取ってやろうというくらいの感覚で、むこうで1カ月くらい、それしかやっていませんでした。結果、いいところまで残ったんですが、ダメでした。でも結果待ちしている間にオーストラリアをすごく好きになって、カーストン・トンプソンという建築家の設計事務所に入って、1年間働いてきました。

グレン・マーカット

そういう理由だったのですか。

S:何も関係はないのですけれど、僕らは「イソップ」といってオーストラリアのスキンケアブランドのショップをいくつか手がけています。実はオーストラリアの「イソップ」のショップを僕らと同時期にカーストン・トンプソンがデザインしていたのは後で知りました。何かで繋がっていたんですね。不思議な感じだなと思いました。

イソップ
撮影:太田拓実

禿さんが青木淳さんの事務所を選んだのは。

K:実は寳神くんが先に青木さんの事務所に入っていて、彼に所員を募集しているという情報を聞いて、ポートフォリオを持って行きました。青木さんには、ワークショップに参加したときにコメントをもらったことがあって、すごく興味がありました。はっきりわかっていて、具体的に何かを学ぼうという感じよりは、もっと知ってみたいと思いました。

青木淳氏

青木淳さんの事務所で学んだことは。

K:実務をやるようになってから、学生のときにやっていなかった作業としては具体的な材料を見つけてきたりすることがあります。学生のときにはプレゼンの段階までなので、模型をつくるとか、絵をつくるところまでです。その先の実施レベルのことは当然授業ではやっていません。具体的にこういう形をつくるために、どういう材料を使うのか、材料を見つけるところから始めなければなりません。事務所に入って仕事を任されたときに思ったのは、材料探しがすごく楽しいということです。材料を決めるのは一番仕上げの段階じゃないですか。その材料を決める段階のときに思惑とは違うところで決めるというか、ちょっとだけズラして決めるとか。例えばある思いを形として表現するためには、その材料じゃなくてもいいんですけれども、まったく別の理屈で最終的な材料を決めたりする作業をやっていたんです。それは学んだことのひとつだと思っています。ちょっとズラすような決定の仕方を必ずどこかで織り交ぜていました。そうするとそうとしか見れないものではなくて、引いたときの見え方と近寄ったときの見え方で二面性を持たせることができたり、奥行きを与えることができます。そういう材料の決定の仕方は学んだことですね。

鈴野さんはどうですか。

S:面接をしたときに出てこられたのは工藤(和美)さんと堀場(弘)さんでした。シーラカンスが分かれるタイミングだったんです。場所は3つに別れたんですけれどC+AとK&Hに分かれました。僕は工藤さんと堀場さんのK&Hに入ることになりました。(仮称)「鳥取砂丘博物館」をやりたいということがあって入ったので、それを実際やられていたのは工藤さんと堀場さんのチームで、そこに入れたんです。ふたりでやる事務所だったので、今僕らもふたりでやっていますから、補うようなバランス感覚を見ていたというところがあります。K&Hはいろいろな人と早くからコラボレーションをしていました。構造家の池田(昌弘)さんとやられていたり、家具デザイナーの藤森さんともすごく早い段階で幼稚園の家具をやられていました。AALabというところがあって、コンピュータによるプログラミングで恣意的ではなく、環境からくるような形を導きだそうとしていました。元々シーラカンスも大人数でやっていましたから、そういう中でコラボレーションしながらものをつくっていく。そのような環境にいれたのは刺激的でした。

工藤和美氏(左)と堀場弘氏(右)

(仮称)鳥取砂丘博物館

そういうことが今に生きているのですね。

K:僕も青木さんの書かれていることも好きで、プロフィールに「面白いことなら何でもしようと青木淳事務所を設立した」と書かれています(笑)。そこに共感していて、別に建築だからということではなくて、建築的な考え方はあるので、その中でアウトプットとしてはたまたまこういうものだけどということで、建築的な思考は変わらないと思っています。

ではふたりの出会いについて教えてください。

S:大学も設計事務所も違うので、よくどこで重なったかという話を聞かれるけれど、僕のシーラカンスK&Hでの同期が禿の先輩だったこともあって知り合いました。その頃、オープンハウスによく行っていたのでそこで紹介されたりして、知ってはいたという感じでした。ふたりで遊んだり、飲みに行ったりという仲ではありませんでした。

事務所は一緒につくられたのですか。

S:僕はオーストラリアから帰って来て、大学のときの先生の手伝いをしていて、禿は青木事務所をを4年経ったら出なければいけないというのもあって独立していたんです。それで面白いところを借りていました。代々木上原に“建築ときわ荘”みたいなところがあったんです(笑)。今はなくなってしまったけれど。1部屋4万円くらいの部屋を禿が大学の同期とシェアしていました。青焼き機とかが下にあって、カタログも皆で共有のもので、入口もガラガラと開けるような引き戸だし、鍵も腐っていて掛けていませんでした(笑)。そこの目の前が高級住宅地で、門番が1日立っているんですけれど、こちら側をずっと見ているんです(笑)。こちらからは借景としてすごい庭を眺めながら仕事をしていました(笑)。

一緒になったというのは何か仕事があったのですか。

S&K:そうです。「テンプレート イン クラスカ」が最初です。

「クラスカ」というのは“暮らすか”という意味ですか。

S&K:そうです。どう“暮らすか”という問いが語源で、新しい暮らし方を提案するホテルです。このプロジェクトのプロデューサーが元都市デザインシステムの広瀬郁さんだったのですが、出来て半年後くらいに海外の人が来て1週間から1カ月くらい暮らせる小さい部屋、マンスリーホテルみたいなものをつくってほしいと気軽に頼まれて、そのときに禿を誘ったんです。

それでこの中に物置みたいにむさ苦しい事務所をつくりましたよね(笑)。

S:ハハハ…(笑)。「クラスカ」がオープンして半年後くらいに、今度は1周年記念をやりたいから屋上をつくってほしいと頼まれて、「テーブル オン ザ ルーフ」を設計している最中に、場所を借りなくてはと当時「クラスカ」の7階にあった1室に決めました。代々木上原の部屋は次の人を決めないと出れないのに、決めないままここを決めて、禿はトイレ掃除の当番だけに帰っていました(笑)。

テーブル オン ザ ルーフ
撮影:中川敦玲

回転体
撮影:大森有起

井の頭の住宅
撮影:阿野太一

海南島プロジェクト

その後、仕事はどうでしたか。

S:シーラカンスK&Hのときに住宅を担当したんですけれど、そのクライアントの勤めている会社のショールームを設計しました。「回転体」というのですが、藤森さんとコラボレーションさせてもらいました。そういうことが続きました。都市デザインシステムの社長に「テンプレート イン クラスカ」を評価してもらったこともあり、同社からの仕事がいくつか続きました。都市デザインシステムと東京電力がつくった「リビタ」という会社のオフィスとか、「井の頭の住宅」などがそうです。計画だけで終わってしまったんですけれど、「海南島プロジェクト」は、ランドスケープも含めた大規模なリゾートホテルの計画でした。

トラフという事務所の名前はどういう理由で付けたのですか。

S:「テンプレート イン クラスカ」はソニーのAIBOとのタイアップ企画だったので、ソニー側から名前も知らない人ではなくて、ユニット自体に名前を付けてくださいと言われたんです。禿は独立していたし、僕は勤めていたので、1回だけ禿に手伝ってもらう関係だったんですけれど、真剣に考えて、「建築設計事務所」は付けようと思いました。そのときに全部漢字ではすごく固いので、カタカナ3文字くらいで柔らかくしようと思ったのと、意味を与えないようにと考えました。トラスとかだと構造的な意味を持ってしまうんで、トラスの最後の文字をフ、と置き換えてみると、急に柔らかい印象を持って、響きもいいんじゃないかと思って決めました。


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