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品番がわからない場合


豪華な教授陣に恵まれた東大の教育環境

豪華な教授陣に恵まれた東大の教育環境
安藤忠雄や千葉学に学んだ両名

猪熊さんのお生まれは神奈川県のどちらですか。

猪熊氏:かなり西側の山側です。今は相模原市になったんですけれど、以前は津久井郡で、津久井湖とか、相模湖とか、湖がある西の方です。

子供時代の写真(猪熊氏)

子供時代の写真(猪熊氏)

子供時代の写真(成瀬氏)

子供時代の写真(成瀬氏)

田舎の方ですね。

猪熊氏:本当に田舎の方です(笑)。

そうすると小さい頃は津久井郡で自然がいっぱいでしたね。

猪熊氏:山だらけ、森だらけみたいな感じでした(笑)。自然ばっかりで、毎日泥だらけみたいな。

高校はなぜ宇都宮なのですか。

猪熊氏:父親の転勤があって、引っ越しました。中学校の3年生の時に引っ越して、宇都宮で受験をして、そのまま宇都宮の高校に通いました。

建築家になろうと思ったのはいつ頃だったのですか。

猪熊氏:今思えばという感じですけれど、関係があるかなと思うことがいくつかあります。
そのひとつが宇都宮に引っ越した時に家を建てたことです。父親には自分の思いがあったらしくて、方眼紙に線を引いて、それを元に建ててくれとハウスメーカーにお願いをして建てたんです。

そういう要望を受けてくれたのですか。

猪熊氏:ミサワホームだったんですけれど、受けてくれました。今でもそうなのかはわかりません。半年くらいの間、ああがいい、こうがいいと父が方眼紙の上で線を引いていて、隣で中学生の僕が、これはどうか、と父親にプレゼンしていたんです(笑)。

それが建築の方向に進むきっかけになったのですか。

猪熊氏:そこで決意をしたわけではないので、今思えばという感じですね。大学を受けた時には、そのことはすっかり忘れていました。東大は進振り(進学振分け)が2年生であるので、それまでは結構自由なんです。

東大を受験する時にはあまり建築のことは考えていなかったのですね。

猪熊氏:とりあえず理一(理科一類)にしておこうという感じでした。

ではどうして2年の間に建築に進むことを決めたのですか。

猪熊氏:都市工学とか建築とか、街に関わることをしたいと思っていて、最初は都市工学の方に行ったんです。都市工学にもちょっとだけ建築と重なっている授業があって、隣の学生に話を聞くと、建築でしか取れないデッサンの授業などがあって、そちらの方が面白そうで(笑)。移るなら今だと、1年留年をして進振りをやり直して、建築に入ったんです。それで大学に長居することになりました(笑)。

成瀬さんのお生まれは愛知県のどちらですか。

成瀬氏:一宮市というところで、岐阜と名古屋の間くらいなんですけれど、名古屋のベッドタウンなんです。皆、電車や車で名古屋に働きに行くようなところで、郊外という感じです。車がないと生活ができませんでした。

地図で左下の方を新幹線が通っていますね。

成瀬氏:そうですね。東京からだと、名古屋で降りて、そこからJRの在来線で行きます。ちょうど名古屋からも15分、岐阜からも15分位のところです。

そこは街ですか。

成瀬氏:田舎ではありませんね。全然自然がないです。アスファルトだらけな感じです。
猪熊氏:ひたすら戸建住宅地が続くような感じなんでしょう。
成瀬氏:あとは一大毛織物の街だったので、ニッケを筆頭に毛繊物の工場が結構ありました。ところが輸入品が入って来て、私が小学生の頃にバッーと廃業していったんです。そしてその辺が全部宅地化されて、ハウスメーカーの家ばかりになっていきました。

住んでいた街が時代の移り変わりで変化して行くのを見ていたのですね。

成瀬氏:そうですね。最初はバスがあったんですけれど、どんどん廃線になっていったり、商店街が閉まっていったり、幼稚園生の頃はかなり賑やかな街だったんですけれど、高校生の頃にはザ・シャッター商店街になっていました。
猪熊氏:随分激しいのを見てきたんだね。

東大を受験する時には建築をやろうと思っていたのですか。

成瀬氏:全然思っていません(笑)。

では建築家に向いている特性みたいなものはあったのですか。

成瀬氏:ずっと何かを作っていました。砂場で何かを作ったり、刺繍や縫い物をしたり、紙で何かを作ったり、お菓子を作ったりもしていました。絵も習っていて、中学生になる時に親に「将来はデザインをするような仕事をしていきたいから、中学校に行きながら、名古屋にある美大を受けるための学校に通わせてほしい」と言ったんです。そうしたら「絶対に食べていけないから、やめなさい」と言われました。確かに家のまわりにはそういう人は誰もいなかったんです。その時にはそうかと思って、諦めてしまいました(笑)。ただ、悔しくて、ここから出るしかないと思って、勉強は頑張っていました。高校生になって、親に「地元を出たい」と言った時に、「家にそんなにお金はないから、できれば名古屋大学に通ってほしい」と言われました。

名古屋大学は国立大学ですね。

成瀬氏:はい。「本当に家を出たいなら、東大に受かったら出ていい」と言われました。親は冗談で言ったんですけれど、真面目に勉強して、東京に来ました(笑)。

スゴイですね!一発で合格したのですね。

成瀬氏:後がないので、背水の陣です。受かった時にはうまく行ったなと思いました(笑)。

成瀬さんも入学時に建築は意識してなかったようですが、その後なぜ建築へ。

成瀬氏:その頃はクリエイティブ系でやっていくのは難しいと思っていました。入ってから、色々な学科を見に行った中で、建築学科を見た時に模型とかを作っていて、こんなものを作って、単位がもらえるなんてすごいなと思って、興味をもちました。母親が小さい頃から京都や奈良に連れて行ってくれていて、神社仏閣をたくさん見ていたので、元々興味をもってはいました。あとは修学旅行で広島の丹下(健三)さんの「広島平和記念資料館」と「平和記念公園」に行っていて、建築家という職業があるんだと、そこで何となくわかったりしました。
猪熊氏:今でも丹下さん、大好きだもんね(笑)。
成瀬氏:「(国立)代々木競技場」を見た時に同じ設計者だと知って、すごいと思いました。

広島平和記念資料館

広島平和記念資料館

国立代々木競技場

国立代々木競技場

成瀬さんは「代々木競技場」を見たのは大学生になってからですか。

成瀬氏:大学生になってからです。

僕がインタビューをした中で、建築家が影響を受けた建築は「代々木競技場」がダントツです。

猪熊氏・成瀬氏:やっぱり(笑)。
成瀬氏:「代々木競技場」はすごいです。私は「代々木競技場」と「東大寺」にビックリしました。

東大寺

東大寺

猪熊さんが「代々木競技場」を見たのはいつ頃ですか。

猪熊氏:建築に入ってからですね。一通り近代建築を習うので、これはヤバいと、東京にあるものは全部見ようと回り始めて、毎週末色々な建築を見ていました。

東大の恩師は誰になるのですか。

成瀬氏:学部の時には安藤(忠雄)先生とか大野(秀敏)先生、千葉(学)先生に教えていただいて、私たちはすごくラッキーな世代なんです(笑)。
猪熊氏:僕らは安藤さんに教わっているんです。
成瀬氏:安藤さん・大野さんが教授で、千葉さんが准教授という豪華な時にいて、助手の先生にも山代(悟)さんとか、鵜飼(哲矢)さんとか、宮部(浩幸)さんとか、面白い先生がいました。大学院では生産技術研究所にある曲渕(英邦)研究室というところに行っていて、そこは原広司先生のお弟子さんの計画系の研究室でした。

安藤忠雄氏

安藤忠雄氏

大野秀敏氏

大野秀敏氏

千葉学氏

千葉学氏

御手洗龍氏

御手洗龍氏

木内俊克氏

木内俊克氏

川添善行氏

川添善行氏

猪熊さんは。

猪熊氏:研究室はキャンパス計画室をやっていた岸田(省吾)先生です。意匠論が主な研究テーマで、香山(壽夫)研究室の後を継いだ研究室です。色々なところに顔を出すのが好きで、千葉研究室の人達とコンペに応募したりとか、大野先生のところに入り浸っていたりしました。
成瀬氏:私は授業を受けていたというだけで、研究室は千葉研究室ではありませんでした。だいぶ後の話ですけれど、私は千葉研究室の助教をしていました。
猪熊氏:僕らの頃は本当に恵まれていて、今、千葉さんはすごく忙しい人ですけれど、あの頃はまだ若手だったので結構大学にいたんです。ここぞとばかりに色々とエスキスをしてもらいました。食らいついて、あれ見てください、これ見てくださいとお願いしていたので、名前は覚えてくれていました。研究室は違うんですけれど、何か企画があると呼んでくれました。

同窓にはどんな人がいますか。

猪熊氏:大学の同期ですと、伊東(豊雄)事務所出身の御手洗(龍)はご存知ですか。
成瀬氏:独立してまだ数年ですが、もうスタッフが7人いるらしいです。

すごいですね。

猪熊氏:あとは木内俊克。事務所ももちつつ、東大で助教をしていて、デジタルデザインの領域に積極的に踏み込みながら建築をつくっていくような取り組みをしています。
成瀬氏:ひとつ上に、東大の准教授をやっている川添(善行)さんがいます。

川添さんは知っています。成瀬さんはどうですか。

成瀬氏:先輩に岡野道子さん。伊東事務所出身で今は独立していて、芝浦工大(芝浦工業大学)の先生もしています。同期だとCAt(シーラカンスアンドアソシエイツ)から独立した山雄和真さん。ひとつ下だと、高濱史子さん。ヘルツォーク&ド・ムーロンの事務所で勤めて、その後独立しています。全然若いけれど大活躍なのが、大西麻貴さんですね。同じ研究室なんです。

岡野道子氏

岡野道子氏

山雄和真氏

山雄和真氏

高濱史子氏

高濱史子氏

大西麻貴氏

大西麻貴氏


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