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品番がわからない場合


仕事は古巣から

仕事は古巣から
隈事務所時代の関係から仕事がきた

独立した当初、仕事はなかったでしょう。

「KIMUKATSU」というとんかつ屋の仕事が隈事務所関係で繋がっている部分があって、それを独立してから引き継いでやりました。あとは兄の家をやりました。ただあれは設計料がゼロだったので(笑)。

KIMUKATSU
撮影:阿野太一

現在の事務所風景

最初はどこに事務所をつくったのですか。

永福町の住んでいた家です。木造モルタルのアパートは引っ越していて、コンクリート造のアパートでした。

独立してから何年になりますか。

この4月で12年目に入ります。

独立したアトリエ派の建築家としては、仕事量が普通よりあるほうではないですか。

皆さんからよくそう言われますが、僕自身はそんなにはと思っているんです(笑)。うまく行っているとは思うんですが、そこまでうまく行ってないぞと。

多くの建築家から独立当時には仕事がなく暇だったと聞きますが、小川さんはそんなことはなかったのでしょう。

最初はまだ仕事があったんです。隈事務所からの引き継ぎの仕事をやっていたり、独立した2005年当時には若手の建築家がインテリアをやるというのがブーム的にあって、インテリアの仕事がそれなりにあったりして、小さいながらそれなりに忙しくやっていました。ただ3年目か4年目のどちらかが1年間新規の仕事がまったくありませんでした。正月になって、そういえば1年間何も連絡がなかったなみたいな(笑)。

サラリーマンと違って、そういうところは厳しいですね。通常、建築事務所では少数精鋭で長い時間働くことが多いですが、こちらの事務所でも勤務時間は長いですか。

出勤時間は朝の10時です。実を言いますと去年まで結構遅くまでやっていました。

それは仕事が多いということですか。

多いこともありますし、なくてもいるという体制でした(笑)。そこら辺、今年から少し方針を変えようと思いました。うちのスタッフふたりとも5年以上になるので、自分の仕事に対する時間配分ももう十分理解してきているはずなので、仕事がないなら帰ってもいいと。ただ仕事の時間配分をちゃんと理解した上で管理していくという話になりました。

スタッフに任せるということですね。

そうですね。ある程度は任せます。ただやはり要所要所のチェックはもちろんやっています。

今までやってきた仕事はどういうジャンルのものが多いですか。

住宅はやはり普通にあるのですが、商業施設的なものですね。ただ歯医者さんもありますし、結構オールラウンドに幅広いですね。今は斎場の設計もやっています。建築家によっては、RCに特化しているとか、鉄骨しかやらないとか、木造だけという方もいらっしゃるんですが、僕は何でもやっていて、仕事ごとに鉄骨がいいか、木造がいいか、何が適切かを考えてやっています。

隈事務所ではどんな作品を担当していましたか。

コンペを取って入ったところがあるので、最初は提案ばかりのことが多かったんです。多摩センターにある「ペンタくん」という大きな建物があって、設計自体はKAJIMA DESIGNさんとのJVでやらせていただきました。リフォームの会社が建てたんですが、今は違う用途になっています。上に先輩が付いていて、全部をひとりで見るという世界ではありませんでした。その後にやらせてもらったのが、山口県の重要文化財の仏像を収蔵する小さい施設「安養寺木造阿弥陀如来坐像収蔵施設」で、現地の土をセメントと混ぜてブロックにして使っています。

ペンタくん
撮影:OGA

安養寺木造阿弥陀如来坐像収蔵施設
撮影:OGA

隈さんらしい作品ですね。

当時の素材に特化したデザインです。その後は発表されていない高級な別荘をやっています。隈事務所では隈さんの究極の代表作というものではありませんでした。

隈事務所で学んで、胆に銘じていることはありますか。

デザインの仕方云々とは違った部分で、クライアントに対しては否定をするなと言われました。ちょうど「ペンタくん」の打合せのときに、クライアントに「こうしたい」と言われて、若いから絶対にできないと思ったことはその場で「いやいや、それは無理ですよ」と言ったんです。そうしたら隈さんが下から僕の太ももをバーンと叩いたんです(笑)。「黙っていろ」と。帰りの車の中で、「クライアントを否定するな。まずは受けろ」と。受けた上でちゃんと検討して返すと。

できない場合でも検討してから伝えるということですね。

その場でいきなりできないと言うのでは、何もしていないと。あの頃は若かったので、イマイチ理解できていなかったんですけれど、今になると正にそれの繰り返しなんです(笑)。受けて、「考えさせてください」。受けて、「考えさせてください」。出して、「これじゃないんだ」と言われて、「また考えます」。その繰り返しです(笑)。

それも勉強ですね。自分のやっていることは当たり前だと思ってしまいますから、他の人から言われないとわかりません。

それでもまだまだ「いや、それは」と言ってしまいそうになることもあるんですが(笑)、それを抑えながらやっています。

「Pleats. M」「Pleats. I」はモニュメンタルな作品ですが、どのように仕事が来たのですか。

隈さんのクライアントでもあって、「ガーデンテラス長崎」というホテルを隈さんがやっています。当時、隈事務所で最初の担当者として僕が付いているんです。途中で独立して辞めてしまったので、社長は僕のことを覚えていなかったのですが、埼玉と群馬でも結婚式場を展開しているオーナーさんで、隈さんに頼むまでもない小さい結婚式場をつくるときに、隈事務所の後輩が「小川さん、どうですか」と声をかけてくれたんです。インテリアでもいいから、飲食店とかをやった経験がある人がいいと、ちょうどとんかつ屋さんをやっていたので僕に声がかかりました。後輩のお陰なんです(笑)。東松山の三角形の敷地で、いびつな形態の中に結婚式場を入れるというのと、そのブランドでもう1店舗か2店舗つくって行きたいので、続くようなデザインを考えてほしいということでした。当初、3角形でプリーツ状に折られた形態を考えて「Pleats. M」をつくりました。その次の入間の「Pleat. I」も半円状のいびつな形態の敷地で、ああいう伸縮するような形態のデザインは、どんな敷地がきても対応できるし、結婚式というイメージにもプリーツという華やかな雰囲気が合うと考えました。

Pleats.M
撮影:阿野太一

Pleats.I
撮影:阿野太一

先ほどおっしゃっていた斎場の設計というのは。

同じオーナーさんです。

そのオーナーが隈さんの「M2ビル」を買ったと聞きました。

そうです。僕が独立する前なので十数年前です。そこで初めて隈さんと知り合って、「ガーデンテラス長崎」の仕事になっています。今「M2ビル」は斎場になっています。「M2ビル」のデザインが時間を経て、落ち着くところに落ち着いているんです。オーナーさんが建築に対して意識の高い方で、ちゃんとしたリスペクトをもった上で、仕事を頼んでくれるので有難いですね。

M2ビル

結婚式場を設計したのは、「Pleats. M」が最初ですか。

そうです。

小川さん自身はどちらで結婚式を挙げられたのですか。

僕は国際文化会館でした。

そうすると結婚式場は経験がなく、事前にいろいろなものを見たりしたのですか。

もちろんそうです。オーナーさんがもっている施設をまず見させていただいて、ただそれは従来型のデザインでやられているものなので、それを見た上で、こちらとしては新しいものをどう提案するかということでした。

見てきましたが「Pleats. I」は細かくよくできていますね。

ありがとうございます(笑)。家具や照明も全部オリジナルでデザインをやらせていただいています。従来型の結婚式場は閉鎖的なんです。外を見せません。ディズニーランド的に囲い込んで、中は夢の世界になっています。「Pleats. I」に関しては、交差点で市役所が目の前にあるんですが、そこで閉鎖的にやるのではなくて、少しでも外に幸せを見せる。それにはメッシュが効いています。

結婚式場のような建築タイポロジーは、もう少し年配の建築家のほうが合っているのではと思っていたのですが…。

僕の知合いの若い建築家にも結構話はあります。僕自身はあの設計を35、6歳のときにやっています。


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