- 1.建築家紹介
- 2.安藤建築で建築を意識
- 3.学生コンペの覇者
- 4.仕事は古巣から
- 5.幾何学的作風の特徴
- 6.海外コミッションにも挑戦
- 7.大いなる建築的野望
- 8.建築作品ギャラリー
安藤建築で建築を意識
安藤建築で建築を意識
親のアドバイスで建築家へ
僕と小川さんが初めて会ったのはどこでしたか。
この間、お酒を飲んでいるときにふと思い出したんです。僕はなぜ淵上さんを知っているんだろうと(笑)。淵上さんはインターネットなどで顔が知られているので、昔会ったつもりでいたんですけれど、この間の菅原(大輔)さんのクリスマス忘年会が初めてです。なぜ淵上さんを知っているかと言ったら、隈(研吾)さんがTOTOの正にこの「アーキテクト訪問記」のインタビューを受けたとき、「隈さんのところのお弟子さんで今出て来ている人はいますか」という淵上さんの質問に、原田(真宏)さんとか、中村(拓志)さんとかいろいろな方の名前が出て、その中に僕の名前も出ていました。その後淵上さんから「インタビューの掲載用に顔写真を送ってもらえないか」とメールをいただいたんです。

菅原大輔氏

原田真宏氏

中村拓志氏
それはいつ頃ですか。
独立してまだ1、2年の駆出しの頃だったんですけれど、一応隈さんに弟子認定されたので、非常に嬉しかったのを覚えています。
僕もどこかで会っていると思っていたけれど、菅原さんのパーティが初めてだったのですね。メールで「Pleats. I」のオープンハウスが届いたときに、隈さんにはすごい建築をやる弟子がいるのだなと思っていました(笑)。そういえば隈さんの「新国立スタジアム」コンペの優勝、おめでとうございます。規模が大きいので、弟子におこぼれなどはないんですか。
それはまったくないです。今や隈事務所は海外も含め200人近くいる事務所なので、自社ですべてできると思います。ただ僕も独立したときには引き継ぎ的な部分で、まだ残っていた仕事を外注的に受けて、やっていたりはしましたけれど、それが終わったときを境に完全にひとり立ちしなければいけないと思いました。
小川さんは香川県の生まれですが、香川県のどこですか。
ちょうど香川県のど真ん中、おへその部分にあたる綾川町、昔は綾南町という名前だったのですが、合併して綾川町になりました。
そこは街ですか。
ど田舎です(笑)。僕は来月の2月で41歳になるんですけれど、この年代で小さい頃、家のまわりの道がまだ舗装されていませんでした。小学校までの通学路は土の道でした。校舎も小学校2年生位まで木造2階建てでした。

小さい頃の小川さん(前列左)
(C)OGA
僕は小川さんよりはるかに年上ですから、同じような環境でした。
僕の年齢でそういう状況なので、かなりの田舎です。
故郷の風景というのは自然ということになると思いますが、心に残っているのは。
今も実家自体はそんなに変わっていないんです。それでも大分コンクリートの擁壁が増えたというのはあります。実家は小高いところにあるので、崖側にはフェンスがあるんですが、その裏側は何も柵がないんです。そのまま家が畑に繋がり、畑が山に繋がっていて、小さい頃には自分の家の敷地がどこなのかわかりませんでした(笑)。
遊び場は自然の中ですね。
そうですね。畑に何も植えていないときには畑で遊んだり、山の中に秘密基地をつくったりしていました。
香川県には多くの丹下(健三)さんの作品があります。丹下さんの作品を意識したのは。
丹下健三という名前は意識しなかったんですが、中学のときにハンドボールをやっていて、全国大会に行くくらいの部活だったので、1度だけハンドボールの試合を「香川県立体育館」でしたことがありました。そのときに言い方は悪いんですが、変な建物だなという印象を受けました(笑)。後になってそれが丹下さんの建築だと気付きました。僕が明確に建築家の建築を意識したというのは高校時代で、高松に長いアーケード商店街があるんですけれど、そこに安藤忠雄さんの建築がいくつか建っているんです。今は取り壊されてなくなっているんですけれど、「STEPビル」というのがあって、高校生ながらにそれは他の店舗とあからさまにつくりが違うと思いました。商店街って商店街に面した顔だけをつくっているし、低層のイメージだったんですが、「STEPビル」が初めてだったと思います、奥に引き込んで、鉄砲階段で上に上げていくような仕掛けをしていました。これは普通じゃないなと何となく感じていました。

丹下健三氏

香川県立体育館

安藤忠雄氏
建築家になろうと思ったのはその頃ですか。
違うんです。小学校の3年生位の頃だったと思います。僕は手先が結構器用で、遊び道具なども全部自分でつくっていたんです。例えばラジカセが壊れると、ドライバーでネジを見つけて解体したがるタイプなんです。開けて中が見たいんです(笑)。電子基板とか複雑なものはわからないんですが、テープを巻き上げるとか、アナログなものがどういう機構で動いているのかとかをすごく知りたがる子供でした。家では兄貴が壊したものを僕が直すみたいな立場で(笑)、そんな兄貴も今は微生物研究所で働いています。そんな手先の器用な僕を見て、母親が「手先が器用で、ものをつくるのが好きなら建築家になりなさい」と言ったんです。
当時、お母様は何歳くらいだったのですか。
30歳後半だったと思います。母は鹿島建設の高松支店に支店長の秘書として勤めていたんです。建築士と言えば、また話が違っていたと思うんです。相対的な資格をもつ人ということで、ゼネコンに行くこともあれば、現場に行くこともあるし。ただ何を間違えたのか「建築家」と言ったんです。それからそれが僕の耳にずっと残り続けていて、大学を受けるときになって、建築学科しか受けていないので、どこかで建築家になりたいという気持ちでいたんですね(笑)。
僕のインタビューした建築家の中では、小さい頃に決めてそのままという人は少ないですね。
ある意味迷いがなかったので楽でした。ちょうどバブルの絶頂期に幼少期を過ごしているので、田舎でも近所でバンバン家が建っていたんです。田舎では木造で大工さんが家を建てるんですけれど、棟上げをやるんです。お金とか、お菓子、お餅を撒くんです。それが小学生には楽しいんです(笑)。それで建物ができるというのはすごく楽しいことだと摺り込まれているんです。小さいときから建築ができていくというのは幸せで面白いことだと思っていたんです。
僕も棟上げ式の楽しさは知っています。建築家になってお母様も喜んでいるでしょう。
喜んではいるんですけれど、独立という方向に行ったので心配していますね。ある種芸術家的な先の見えない世界なので(笑)。
まだ実家はあるのですか。
あります。実家自体も古い家で、そろそろ90年を超えます。
香川県に好きな建築はありますか。
やはり「香川県庁舎」に行くと、あのピロティの部分とか、エントランスのダイナミックなところから低いところに入るあの雰囲気とか、公共の場所として相応しいスケール感を感じていました。

香川県庁舎
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