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品番がわからない場合


建築家を目指して

建築家を目指して
パイロット志向転じて建築家に

最近ですと保坂さんとはプリズミック・ギャラリーの「Ku u so u」展でお会いしています。あの展覧会は非常に面白かったですね。スケッチはどういう理由であんなにたくさん描くのですか。

プロジェクトがあるとスケッチを描いて考えるんです。1日1枚描くというペースで、1日1案毎日コツコツ考えて、最終的に一番いいものが1個つくれればいいんですけれど、そこにたどり着くまでには、長い道のりがあるんです。

「Ku u so u」展

部分部分を描いていって完成するのではなく、1日1案描いていくのですか。

1日1案のこともありますし、気に入った案が出てくると、昨日の案をちょっと改良する場合もあります。

アメリカのスティーヴン・ホールもスケッチを多く描く建築家ですが、彼はプロジェクトのあるなしに関わらず毎日1枚、いいイメージが出てきたものをメモっておくという感じでした。インタビューで会ったときに、お土産に小さいんですがすごく厚い彼の水彩のスケッチの本をもらいました。保坂さんも出版できそうですね。

頑張ります(笑)。

スティーヴン・ホール

保坂さんと僕が初めて会ったのはどこだったでしょうか。

SPEED STUDIO時代ですよね。思い出せないですね。

僕も思い出せないんですよ(笑)。

淵上さんの『アメリカ建築案内』の出版パーティに顔を出したことを覚えています。それはSPEED STUDIOを解散したくらいの頃で、10年くらい前です。でも淵上さんにはそれより前のSPEED STUDIO時代にお会いしているはずなんです(笑)。

『アメリカ建築案内-1』

ちょっと気になってお聞きしたのですが、いつの間にか知り合っていたんですね(笑)。保坂さんの出身は山梨でしたね。

山梨の甲府です。僕が生まれた頃はまわりに田んぼが多くて、住宅がポツポツあるような状態でした。武田神社という武田信玄が本拠地としていた館と言われている場所があるんですけれど、その武田神社のすぐ近くです。

小さい頃にはそこで遊んでいたのですか。

ええ。正に武田神社の横が小学校で、武田信玄を尊敬するように教育されていました(笑)。

小さい頃の写真
真ん中が保坂さん
提供:保坂猛建築都市設計事務所-1』

どんな遊びをしていましたか。また小さい時の出来事などが、今の職業に通じるようなことはありますか。

祖父が農家をやっていたので、田んぼとか、ぶどう畑とか、そういうところで遊んでいましたね。幼稚園と小学校のときにはほとんど外で遊んでいたので、まず屋内では遊んでいませんでした。子供ながらに外の気持ちよさを感じたり、自然に触れたりして、自然を相手に遊んでいました。それによって今建築をやるのに、人間と自然の関係をベースに考えるようになっています。それともうひとつ、小学校3年生くらいから、自分の家の近辺を歩いていて、建っている建物がみんなおかしいように見えてきて(笑)、あの家はああいうふうにすれば良くなるのにとか、自分の家も含めて建物のつくりがおかしいとか、使われ方がおかしいということがすごく気になっていました。多分小学校の3、4、5、6の4年間くらいは目に付く建物がとにかくみんな変に見えて、子供ながらにひとつひとつの建物についてエスキースというか、評価をくだしていました(笑)。

それは随分ませていますね。

そういえば子供の頃、近所に建っている建物に対して批評していたと(笑)、だいぶ後になってふと気が付いたんです。それは知識があってやっているんではないので、大々的にその建物を変化させるというほどの批評をしていたわけではないんですけれど、単純に窓がおかしいとか、屋根が大き過ぎるとか、いろいろ気になっていました。

山梨には丹下(健三)さんの「山梨文化会館」がありますが、それは子供の頃から知っていましたか。

もちろん知っていました。幼稚園の頃の写真を見ると、丹下さんの建物をバックにいとことかみんなで並んで写真を撮っていました。

山梨文化会館をバックに
真ん中手前が保坂さん
提供:保坂猛建築都市設計事務所』

その他に山梨には内井(昭蔵)さんの「見延山久遠寺宝蔵」もありますけれど…。

それはわからないですね。

高校も山梨ですか。

山梨の地元の高校です。

保坂さんは防衛大に行っていますが、それは。

高校時代に自分の進路を決めるのに、建築家か、パイロットになるか、絞りきれていませんでした。高校生なので余り深く考えなくて、なんとなく「防衛大に行って、戦闘機のパイロットになりたい」と言い出して、それで防衛大に入っちゃったんです(笑)。

防衛大時代の写真
真ん中が保坂さん
提供:保坂猛建築都市設計事務所』

パイロットという発想はどういうところからだったんですか

トム・クルーズの映画「トップガン」を見て、すごくいいなと思ったんです(笑)。

建築家も考えたというのは、高校の頃に何かきっかけとなることがあったのですか。

何か建築を見たとか、誰か具体的な建築家に憧れたとか、そういうのは全然なくて、なぜ建築家になりたいと思ったのかよくわからないんです(笑)。

子供の頃に近所の建物を批評していたことが繋がっているのでしょうか。

それはあると思います。建物とか風景とかを見ると、何かおかしいなとか、いいなとか思ったり、そういうのはすごくあったので。

パイロットは勇敢でかっこいいし、それに比べると建築家は地味ですから、高校のときにはパイロットを選んだんですね(笑)。防衛大の試験は難しいのですか。

そんなに難しいものではないと思います。

防衛大は給料も出るのではないですか。

はい。給料も出ます。

大学に行って給料も出るのはいいですね(笑)。ちなみに防衛大の試験というはどんな感じなのですか。

理系でしたので、英語、数学、物理、化学とか一般的な理系の科目で、マークシートの試験と筆記の試験の両方があって、それをパスすると身体検査みたいなものがあって、それもパスして面接があって、面接にパスして合格です。3回試験みたいなものがありました。

いかにも防衛大というような試験ではないのですね。そうすると入ってからなんですね。授業の科目はどうですか。

一応大学に相当するものなので、科目としては一般教養をやって、軍隊の科目もあります。

それは面白そうですね。陸軍、海軍、空軍にはいつ分かれるのですか。

確か2年生から分かれるので、1年生のときには全般的に教えられて、1年生の7月くらいに陸に行く人、海に行く人、空に行く人の適性チェックみたいなものをやるんです。僕の場合には目が悪くなってしまって…。入学するときには両目とも1.2くらい視力があって、身体検査でも問題なかったんですけれど、防衛大に入ってから急に目が悪くなって、7月の陸海空に分かれていくときの身体検査で、視力が裸眼で0.6とか0.8になっていて、「あなたはパイロットにはなれませんよ」と言われてしまったんです。それでガーンということになって(笑)、パイロットになれないんじゃ防衛大にいても仕方がないので、防衛大は辞めてしまいました。ですから僕が防衛大にいたのは4か月です(笑)。それでもう1回受験をやり直して、建築のほうにきたという感じです。

まさにトップガーンですね(笑)!パイロットを目指していた建築家に初めて会いました。目が悪くなっていなければ、建築家保坂猛はいなかったかもしれませんね(笑)。


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