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品番がわからない場合


震災復興で尽力

震災復興で尽力
東北各地で復興建築に携わる

針生さんは日本建築家協会宮城地域震災復興委員長ですね。

ずっとではありませんが。

この地域で長く活躍されていて、著名度もあるので、こういう役職を頼まれるわけでしょう。

津波により町が消えてしまったと報道された名取市閖上の丘区となる高柳に事務所がありました。電話の基地局も失い、水も電気も途絶え、やむなく仙台に事務所を移しました。そうしてJIAの支部に顔を出しているうちに、頼まれるというより、皆バタバタ忙しくて、引き受ける人がいなかったので、引き受けるしかなかったんです。

災害復興に関する仕事もコンペやプロポーザルで得たものですか。

僕の場合には最初は自分の設計したものを主に頼まれました。その後はプロポーザルが2つありました。具体的には、「名取市斎場」は6mの波が来たのですが、コンクリートの壁構造だったので、躯体はしっかりしていたため、インテリアなど中を全部やり直すことになりました。まず応急で2炉だけを復旧し、全部の復旧は約6億円かけてほぼ1年後でした。土葬せずに済んだので、それは大変喜ばれました。知的障害者のための通所授産施設「まどか荒浜」は流されてしまったので、仙台市が用意した内陸部に「まちの工房まどか」と名称も変えて新築しました。「気仙沼市総合市民福祉センター」は3階建の壁構造で、1階まで浸水したのですが、壁構造はしっかりしていました。ただ隣に特別養護老人ホームがあって、そこでは40名位亡くなっているのと、ここは低いので3m位の盛り土が必要で、撤去となりました。それから南三陸に雁行したRC3階建ての県の公務員住宅がありました。そこは屋上の遥か3m上を波が行ってしまったため、直すことはできたのですが、盛り土をする必要があって、壊すことになりました。その他はJIAの仲間と応急危険度判定を延々と行う日々でした。応急危険度判定というのは、被災した建物がどのくらい危険なのかを判定するもので、これが大変でした。名取地区については関東甲信越から応援が来てくださり、なかには手伝いに来て過労で亡くなった方もいました。約2か月、日に2~4人と大変大勢の皆様の協力なくしてはとても調査しきれませんでした。感謝しております。

まどか荒浜

まどか荒浜

気仙沼市総合市民福祉センター

気仙沼市総合市民福祉センター

現地産の木材を使った仮設住宅をつくっていますね。

宮城県森林組合の人と木造で「南三陸・歌津応急仮設住宅」をつくっています。基礎はなく、丸太杭でつくっています。仮設をつくるのは在庫を持っているプレファブのハウスメーカーで、安易に阪神淡路大震災の時の仮設を持って来てつくるということも多かったんです。地元の大工もいるのに、それはおかしいのではないかということになりました。福島はほとんどを地元でつくっています。宮城県でも遅ればせながら地元でつくりましたが10%もありません。ほとんどがプレファブです。その内の15戸を木材でやらせてもらいました。

南三陸・歌津応急仮設住宅

南三陸・歌津応急仮設住宅

地産地消型の仮設住宅ですね。

そうです。プレファブのハウスメーカーがつくったものは、軽量鉄骨だから寒いんです。断熱材も入っていないとか、問題がありました。そしてその後に本格的な災害公営住宅が始まりました。

何という住宅ですか。

「涌谷町災害復興住宅」「岩沼市玉浦西(B-3)地区災害公営復興住宅」、どちらもプロポーザルでしたが、「南三陸町木造災害公営住宅」では宮城県森林組合連合会とうちの事務所と地元の大工さん達で組んでつくった協議会で、98戸つくりました。

湧谷町災害復興住宅

湧谷町災害復興住宅

岩沼市玉浦西(B-3)地区災害公営復興住宅

岩沼市玉浦西(B-3)地区災害公営復興住宅

南三陸町木造災害公営住宅

南三陸町木造災害公営住宅

ゆりあげ港朝市

ゆりあげ港朝市

まちの工房まどか

まちの工房まどか

宮城スタジアム

宮城スタジアム

恵愛ホーム

恵愛ホーム

原町コミュニティ・センター

原町コミュニティ・センター

閖上ルネッサンス計画

閖上ルネッサンス計画

シオンの園

シオンの園

全部で復興プロジェクトはどのくらいありますか。

「南三陸・歌津応急仮設住宅」「南三陸町木造災害公営住宅」「涌谷町災害復興住宅」「岩沼市玉浦西(B-3)地区災害公営復興住宅」、それから「名取市斎場」「ゆりあげ港朝市」「まちの工房まどか」「子どもの村東北センターハウス」あとは修復も含めると「アクアリーナ」「宮城スタジアム」「恵愛ホーム」「原町コミュニティ・センター」などの12 件ですね。そして今、「春日館」「かわまちてらす閖上」をやっています。

「閖上ルネッサンス計画」は実現しませんでしたが、地元建築家でないと出ないようなアイディアが数多く盛り込まれています。巨大で実現したらすごい建築ですね。

昔から河川に関する土木行政に疑問をもっていました。本当は急流の河川に堤防をつくるのは良くないんです。フランスのセーヌ川ではアルプスの高さから大西洋までは勾配が緩やかなんです。日本の河川はその10倍位勾配がきついわけです。明治維新の時に医学はドイツから、土木はフランスから学んでいて、そこらは間違っているんではないかと思うんです。

それを止めるために「閖上ルネッサンス計画」を考えたのですね。

そうです。フランス式の自然を抑えつけるという考え方ではなくて、江戸時代までの地形を大事にして、自然と共生する形の技術が本当の土木ではないかと。地形を変えないとすると、浮かしてつくります。津波の高さをクリアする"陸の浮島"という懸造の人工台地です。それはすでに仙台で人工台地の実績があるんです。もし「シオンの園」で、盛り土をして、擁壁をつくっていれば、地震でやられていたはずです。そういうふうに基本的には自然の地形を変えません。津波で剥ぎ取られて、昔の地形に戻っているわけですから、そのまま埋め立てなどしないという考えを出しました。それは500年、1000年経た後世に評価される話ではないでしょうか。

実現できなかった理由は。

よくわかりせんけれど、復旧復興の土木工事は利権団体の集積でしょう。建築は土木に牛耳られているんです。昔、猛反対されたスーパー堤防を堂々とつくり、山を崩して、谷を埋めて、それでいいのだろうかと。

そういうことに対するひとつのアンチテーゼだったのですね。

そうです。こういう斜面型でも、人工地盤でも下は野菜を作ってもいいし、上は木造の住宅でもいいわけです。段々畑のように斜面を大事に使うんです。津波に強い立体的な都市、人工台地は、現在の高層建築の技術があればできるはずです。つくれるのにつくらないんです。東京は高層化していますけれど、立体化していません。人工台地は高層化ではなく、立体化なんです。問題はそこのところなんです。土木に任せては立体化はできません。建築と土木を分けているからいけないんです。

わが国は、地震に始まって台風、津波、洪水、火山の自然災害や、最近は原子力の人災もあるという災害大国です。そこでは建築家の出番が増えますが、これから先、建築家はどうあるべきか、意見をお聞かせください。

建築家というのは建設会社ではないので、空間をつくったり、つくらせなかったり、両方の役割があると思います。つくらせないことによって、コンサルタント料をもらえるような建築家になりたいと思います。

これからの建築家にはそういう姿勢で臨んでほしいと。

そうでないと、何でもつくらないと食べていかれませんから。淵上さんも嫌なことはしたくないでしょう(笑)。ところが普通の建築家は嫌なこともしないと食べていかれません。そうではなく、弁護士のようにアドバイスをしても報酬をもらえるといいと思います。いつでも建てなければならないとなると建設会社と同じになってしまいます。

批判が入らないといけないということですね。

当然そうです。今回のことで土木主体の復興にはフィロソフィーがないと思いました。何かが欠けているんです。今、一生懸命堤防をつくったり、盛り土をしていますけれど、環境アセスメントを全然していないんです。ずっとするのが当たり前だったんですけれど、今回はしていませんでした。最近になって急に自治体で環境アセスメントのことを言い出すところが出てきました。

針生さんのように批判する人が必要ということですね。

大学で建築家を育てる中でデザインや技術的なことは大事ですけれど、倫理だとか、ポリシーだとかもちゃんと教育した方がいいのではないかと思っています。実際には全然教えていません。


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