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インタヴューの前に―オーストラリアの鏡像   
物件データ
インタヴュー1
インタヴュー2
インタヴュー3
インタヴューを終えて


●インタヴュー3

相手:李浩(コックス集団中国エリア代表、1971年西安生まれ)
場所:コックス集団北京代表事務所(西城区南礼士路)
日時:2004年3月19日

コックス集団の北京代表事務所があると聞いて、そちらにも出かけていった。南礼士路の角にある大きなポストモダン風のビルの中に入っている。事務所はコンパクトで80平米くらい。そこに数人分のオフィス什器が並べられており、壁にはコックス集団のオーストラリアでの作品写真が掛かっていた。コンペ案の提出直前ということで少し慌しかったが、ここは代表事務所で作図などはせず、オーストラリアで作業をしているとのこと。李さんは中国中を飛び回って商談しているようだ。きちんとネクタイをして現れた。


会社のこと

松:こちらは北京市設計院の側で、北京では非常に多くの設計事務所が集まっている地域ですね。今回は李さんがお忙しくてなかなか捕まらなかったので、大変でした。今日やっとお会いできてとてもうれしいです。今晩から青島にコンペ案を持っていかれるそうで、慌しい中時間をとって頂いてありがとうございます。「錦秋知春」のことで、中国とオーストラリアの間でどういうやりとりがあったのか伺いに来ました。

コックス集団北京代表事務所。入口と中のようす。結構雑然としていた。コンペの提出直前なのでそんなものかもしれない。

李:こちらはコックス集団の「中国代表」事務所でして、設計というよりは連絡を主な業務にしているところです。つまり小さいんです。常駐スタッフは私を含めて3人いまして、私の他にシンガポールからの女性が一人と、清華大学の院卒の男性が1人という内訳です。主な業務はオーストラリアとの連絡とマーケティングですね。

松:マーケティングといいますと、具体的にはどのような仕事なんですか?

李:つまり仕事を探す、ことです(笑)。図面はオーストラリアか、あるいは中国の会社と協働してそちらに描いてもらいます。つまりこの代表事務所では図面は書きません。

松:こちらの代表事務所はいつ成立したんですか?

李:2001年の10月でした。既にその年の初めには「錦秋知春」の建設は始まっていました。一部を建設しながら追いかけで施工図を描いていたので、その重要なディテールをチェックしたりしていました。あなたが取材された維拓院はいい設計事務所ですよ。まじめだし、期限を守って図面をあげてきました。それまでは、オーストラリアから通って来て対応していたんです。このプロジェクトは、私から見れば、中国側との協働が比較的うまくいったほうだと思います。

松:そもそもこの仕事をコックス事務所がやるようになったきっかけは、何だったんでしょう?

李:私もよく知らないんです。ただ友人の紹介でデヴェロッパーと関係ができた、というようには聞いています。

松:中国側との仕事の分担を教えてください。

李:私たちは方案設計(日本の基本計画レベルに相当)と拡大初歩設計(基本設計と実施設計の間のレベルに相当)の建築工事部分を担当しました。「拡初」の構造設備工事部分と施工図設計(実施設計に相当)は維拓院が担当しました。施工図作成にあたっての標準ディテールなどもこちらから提供しました。

松:2001年4月に着工したと聞きましたから、代表事務所ができる前から中国側の設計事務所との連携があったと思うんですが、当時はどのくらいの頻度でこちらに来ていたんでしょうか?

李:毎月1回担当者が通う、という程度でしょうか。代表事務所開設前の慌しい時は月4回なんていうのもありましたけどね。まあ代表事務所ができても人の出入りが減るというわけではなく、相変わらず行き来はあります。クライアントにプレゼンテーションするときとか、コンペの提出の時とかですね。

松:コックス集団は、フィリップ・コックスさんを中心に3人のパートナー制だと聞いたのと、事実上このプロジェクトはそのうちの1人であるフィリップ・グラウス(graus)さんが見ていたと維拓院では聞いたんですが、社内での実際のところはいかがだったんでしょうか?

李:パートナーは今シドニーだけでも12人程いるはずです。他の支部も合わせると20人程度になるでしょう。グラウス氏は技術方面専門のパートナーで、正確に言うと彼が責任者というわけではなりません。あくまで、やはりコックス氏が中心であり、彼の考えをどう技術的に具現化するか考えていたのがグラウス氏でした。

松:ランドスケープやパース作成なども、コックス事務所の懇意のところにお願いしたと聞きましたが。

李:ランドスケープはcontextという事務所がやりました。パースはジョン・ヘイクラフト氏で2つともよく協働しているところです。

松:中国側の協働事務所が維拓院になったのは、どういういきさつだったんですか?

李:これはデヴェロッパーの方が決めたことです。我々のような外国企業で方案設計をする場合そういうことは多いです。我々のほうから施工図をここに描かせたらどうかと推薦する場合もあります。たとえば今「錦秋知春」の北側にオフィスビルを我々の設計で作っていますが、これは維拓院とは別の、中元国際設計院というところが施工図を描いています。私たちがこちらを推薦したんです。

松:では逆に言えば、コックスさんの方では、どういう会社を施工図設計のパートナーとして施主であるデヴェロッパーに推薦しますか?

李:まあ、中元の場合は責任者が私の同級生だったというのもあります。これは半分冗談ですが、あの会社は設計の能力も高いし、設計料もそう高くないというので施主に推薦しました。もちろんいくつか同時に推薦しました、最終的に決断したのは施主です。

松:契約はそちらと、中国側とそれぞれ別に施主と結ばれますか?どちらかが下請けに入るようなことはない?

李:ないです。それぞれ別に契約を結び、われわれと中国側協働事務所との間では協議書を作成します。これは仕事の範囲を明確化したものですね。

松:設計料はどれくらいですか?

李:ケースバイケースですが、住宅区の設計だったら我々の取り分は平米あたり40−50元、オフィスでしたら70−80元くらいでしょうか。

松:それはコックス側の取り分ですよね、拡大初歩設計で構造や設備を担当し、かつ施工図設計まで行う中国側の費用はどれくらいでしょう?先程、契約上は直接の関係はないというお話でしたが。

李:まあ、我々と向こう側とで1対1くらいの額というのが一般的ではないかと思います。


どこがオーストラリア?、協働

松:次に別の質問ですが、李さんご自身はこのプロジェクトのどの部分がもっともオーストラリア的だと思われますか?これは今回インタヴューしている人みなさんに伺っているんですが。

李:1つ目は建築の形態、空間でしょう。流動的な形をしているでしょう?屋根も平面も。色がはっきりしているのもオーストラリア的だと思います。2つ目は中国語では「人性化」といいますがスケールがうまく調整されていると思います。エントランスホールなど不必要に大きくないし。中国でよくあるじゃないですか?ものすごく大きな入口がついたホテルとか、ああいうのに比べて親しみやすいスケールになっていると思うんです。ルーバーなどの外観要素も細かく操作されているのも、そういう特徴の一部でしょう。総じて自然な感覚にあふれている、それがオーストラリア風というように思います。

松:中国の会社とオーストラリアの会社が協働するに当たって、何が一番困難だったと思われますか?あなたは中国人でありながらオーストラリアに行って向こうの建築の作り方に深くコミットしたわけですよね、両方がわかる立場から見てどうでしょう?

李:技術的・設計上は、中国とオーストラリアの差はあんまりないんじゃないかと思います。維拓院の設計者たちは、かなり正確にオーストラリアからの設計意図を汲み取っていましたから。むしろ問題は使用やソフトの問題でしょうね。住宅がどう使われるかということに対して、両者の差は大きかったです。

松:使用上でのギャップということですね。具体的には例えばどういうところが?

李:うーん、いろいろ細かい話の集積なのですが、例えばキッチンの作り方なんかは大分考えが違いますよね。中国料理は煙も音も多いので、中国人好みとされるキッチンは、どうしても閉じる傾向にあります。しかし、コックス事務所に設計させたらそうならないで、オープンカウンターのキッチンになる。今回は結局前者のような作り方になっています。しかし、だからといってはっきりと中国とオーストラリアの対立があったというわけではなく、施主もオーストラリア風のオープンキッチンに対して一定の理解は示したし、ただ今回は閉じましょうという話でおちついたということです。オーストラリアの方も最初は確かに中国人の細かな生活様式がわからなかったというのはありますが、だんだん慣れてきましたし。


オーストラリアの設計事務所における中国人

松:李さんご自身は、どういういきさつで今この会社に中国代表としていらっしゃるんですか?シドニーにいらっしゃったんでしょう?

李:私は2年ほどいました。99年から2001年までです。

松:もともとのご出身はどちらで、どこで建築を学ばれたんですか?

李:71年に西安で生まれました。天津大学を卒業して中国建築西北設計院で3年働きました。鐘鼓楼広場の計画に従事しました。当時は、中国の有名な建築家である張錦秋の下にいました。

松:ああ、息子さんが日本に留学されていた女性建築家ですね。先日、別のところでお会いしました。

李:そうですか。彼女は私の大学院時代の指導教官でもあります。西北院のあと清華大学の大学院で修士号を取り、それから半年北京市設計院で働いてオーストラリアに行ったんです。

松:オーストラリアに行った時は、既にコックスさんのところと関係があったんですか?

李:98年に北京でUIA(世界建築家連盟)の北京大会がありまして、私は清華の学生だったんですが、これに通訳としてヴォランティアで参加しました。その時コックス氏と接する機会があって、当時から彼の事務所は上海のほうのマスタープランなどで忙しく、中国人のスタッフを探しているという話があったんです。99年に彼が北京にきたときには、一緒に大使館まで行ってくれてビザを取ることができたんです。

李浩氏。早口だが非常に話は明晰でわかりやすかった。英語ももちろん達者。


松:オーストラリアに着いた当時はもう「錦秋知春」の計画は始まっていましたか?

李:ちょうど始まるところでした。ただ、私はそちらのほうには参加しないで、上海や寧波周辺のマスタープランの仕事に参加しました。2年働いて、北京代表事務所の開設にあわせてこっちに帰って来たというわけです。

松:それで週1回の往復からも開放されたわけですね(笑)。今はどれくらいの行き来がありますか?シドニーからいらっしゃっている方がいると聞きましたが。

李:今はこっちが忙しいので、たまにオーストラリアでの全体会議の呼ばれることもありますが、こちらにいることがほとんどですね。今は、私を含めて3人の現地スタッフのほか、シドニーからマレーシア人のシニアスタッフが来ています。大きな仕事で、デンマークの事務所とリカルド・ボフィールの3社で地区を分けて開発していて、調整業務が多いので長期滞在しています。1ヶ月とかそのくらいですが。

松:しかしここでは図面は描いていないわけですか?

李:代表事務所は業務内容としても設計をしない、という決まりなんですよ。中国のほうの規定があってね。マレーシア人のスタッフはシドニーとの連絡役です。やはり施主の意向で、もう既に施工図を描く事務所も決まっているので、そことの打ち合わせも多いです。

松:そちらにあるぶ厚いコンペの設計図書ですが、そういうものもすべてシドニーで描かれている?かなりの仕事量になりますよね。

李:これは上海の黄浦江沿いのマスタープラン案ですが、こういうものもすべてシドニーで作ります。こちらではパースを北京の会社に発注するだけです。そういう連絡役をやっているわけです。

コンペの設計図書を見せてくれる李氏。かなりのヴォリュームがあった。

松:建築に関してはオーストラリアでやるけれども、他の構造や設備はすべて中国で間に合わせるんですか?

李:ほとんどの場合そうですが、しかしそうでないときもあります。例えば今、「錦秋知春」のオフィスビルでは、外装のコンサルテーションでオヴ・アラップに入ってもらってます。

松:それは北京の?深センにもありますよね。

李:シドニーのアラップです。我々から外装だけを外注するんです。

松:あーなるほど、それは面白いですね。そういえば先日デヴェロッパーの杜さんが、オフィス部分の外壁で新しい技術を使うんだとしきりに強調していました。
質問を変えまして、今後こういう建築部分だけ外国から持ってくるような設計形態は中国でよりチャンスがあると思われますか?それとも以前ほどは外国企業であるということのアドバンテージはない?

李:うーん、その質問に対しては中国人としては複雑なものもあります。ただ、外国企業だからとにかく仕事を頼むという以前の状態は、良いとも悪いとも言えるでしょう。外国のものが中国にどんどん入ってくるというのは、中国にとって良いことだとは思いますが、我々にしてみれば以前ほど外国企業だからと言って、仕事がとりやすいとは言えなくなってきてますしね。日本の設計事務所だと「佐藤総合」でしたっけ?あそこがかなり食い込んできてますよね。コックスの得意とするのは大規模の体育施設・展示場・会議場などです。この方面で実績が多い。ペキンのオリンピック村の国際会議センターでは、我々の案がコンペで当選したんですが、クライアントの都合で香港の会社の案に変更されることになってしまいました。こういうことも、ここのビジネスではまだよく起こり得る話ですね。


コックス集団の代表作であるシドニーサッカースタジアム。シドニーのオリンピック関係の施設を多く担当しているほかに、タイやシンガポールでも大規模な公共施設を実現している。

松:ちなみにこちらはさらに拡大するご予定なんですか?

李:上海にコンサル会社を立ち上げる、という話が出てきています。さらに拡大する必要を感じています。

松:そうですか。こういう景気が2008年で終わる、という人も多いですが、李さんご自身はどうお考えですか?

李:今は「大北京」という考え方があって、北京に天津と河北を合わせた一帯が一つの地区として発展していくという、上層部の未来図があります。実際のところ、上海周辺の長江デルタや広州周辺の珠江デルタがいくらか先行してできてきていますが、まだまだ東京やパリのようにはなれていませんよね。北京はましてまだまだこれからで、周りの地区も合わせて一体として発展していくのはまさにこれからでしょう。北京だけだと限度がありますが、天津、河北地区となると性格も違うし、お互いに補い合いながら発展していくことができると思います。2008年にオリンピックが終わってもですね。

松:なるほど、ますますマーケッティングできるということですね。今日はどうもありがとうございました。




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