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渡辺さんの作風
「青山製図専門学校」コンペを取って建築界へ衝撃的なデビュー
独立して最初の作品はあの衝撃的な「青山製図専門学校」ですか。
そうです。独立してから「青山」ができるまでは、すぐではないのです(笑い)。
どの位あるのですか。
MORROW'S Showroom
撮影:MAKOTO SEI WATANABE / ARCHITECTS' OFFICE
MIX
撮影:MAKOTO SEI WATANABE/
ARCHITECTS' OFFICE
青山製図専門学校
撮影:MAKOTO SEI WATANABE/
ARCHITECTS' OFFICE
近江栄氏
山本理顕氏
湾岸の展覧会での展示家具
くぼみのある金属の一枚板のテーブル
撮影:MAKOTO SEI WATANABE/
ARCHITECTS' OFFICE
84年に独立して、あのコンペは88年ですから、4年位ですか。その間は建築の仕事がなくて、インテリアをいくつかやって、発表していました。
インテリアというのは
「MORROW'S Showroom」「MIX」
「Mercian本社」ですか。
そうです。
僕は写真でしか見たことがないのですが、今でも残っているのですか。
南青山の「MIX」は、一昨年までありました。あれは大型ディスコの後に出てきた、いわゆるクラブの走りのひとつで、この手のものとしては異例に長く続いていました。
「青山製図専門学校」
はコンペでしたが、これをやってみようと思ったのは。
まず場所が近い(笑い)。当時は渋谷にいたのですぐ脇でした。こんなコンペがあるよと聞いて、すぐそこですから敷地を見に行ったら、狭い。まわりも建て込んで雑多。こんなところに建たないのではと思いましたね(笑い)。学校としては狭小敷地だし、斜線制限とかを考えると、できることが限られている。どうしようかなと。そうしたら一緒に見に行った友達が「やっぱりやったら」とひと押ししたので、やろうかと。締切りまで確か4日くらいしかなくて、当時教え始めた大学院の学生の下吹越武人(しもひごしたけと)さんが私の事務所に通ってきていたので(事務所と言っても二人だけですが)、徹夜の3日間で一気につくって出しました。ちなみにこの最初に教えた学生達の中には、西沢立衛さんもいましたね。
この時の審査員に
近江(栄)
先生も入っていましたでしょう。近江先生が「困ったよ。すごい案が1等に入ったんだよ」と言っていたのを覚えています(笑い)。審査員には他にどなたがいらしたのですか。
山本理顕
さんと、早稲田の池原(義郎)さんです。
渡辺さんの案を押したのはそのふたりでしょうね。近江先生はコンサバですから。近江先生は「ああいうのが建つのかな」と言っていましたが、実際に見て、僕もびっくりしました。ロボットのような形で、メカニカルな感じでした。受かった時はどうでしたか。
それは大変喜びましたね(笑い)。1位になったのを知ったのは、発表前でした。湾岸の倉庫の
家具の展覧会
に招待出品していて、会場のエレベータの中で、知らない人に「キミ、渡辺誠くんだろう」「おめでとう」と言われて(笑い)。扉が開いたので聞き返す間もなく、その方は行ってしまいました。しばらくして、もしかしたらあれかなと思って。
コンペに勝ったのは「青山」が最初だったのですか。
そうですね。
「青山」はまだ残っていますか。
幸いにクライアントが建築を愛してくれていて、メンテナンスもいいです。それに一昨年依頼があって、私のディレクションでオリジナルに戻す大規模なリニューアルをしました。だからとてもきれいです。海外から見学者がよく来るのですが、いつできたのかと聞かれて17年前だというとみんな驚きます。後、最上階の室内のリニューアルが、まだこれからです。
ああいう形が出てきたコンセプトを教えてください。
あそこの街は乱雑でまわりから良さを取り出すという類いのところではありません。いい街並みだから保存しようとか、自然が豊かとか、そういうものは何もない。ああいうところには強力なものを置くしかないだろうというのがまずスタートです。建築は、例えばバロックの教会に入れば何の説明もなく何かを感じますね。そういう、建築だけが持つ力があるはずです。それを真似するのではなくて、何かつくり出そうと。何の説明もなく、そこに直面したり、そこに入ったりした時に人の心を動かすような、そういう建築にしかないパワーを出現させてみたいというのがひとつです。
もうひとつはもう少し概念的で、あの街は混乱しているけれど、少し離れてみればそれなりにうまくやっている。ヨーロッパの街のようにコントロールされてないのに、何となくうまくいっている。というのは個々のパーツがそれぞれ好きにやっているのだけれど、全体としてはお互いに何かバランスをとっているのではないか。この建築の上にあるのは水槽だし、斜材は柱だし、アンテナは避雷針だし、みんな機能があって装飾ではないのです。普通水槽は水が入ればおしまいなのですけれど、水を貯める以上に何かの形になる。アンテナも避雷針の機能を果たした以上に成長する。各パーツが自分の役割を果たした後、さらにその勢いで、草木が伸びるように成長する。そして全体としてはお互いに何らかの話し合いをしながら育って、ある生態系のようなものを形成する。そういう、部分と全体の関係を生み出そうと考えました。このあたりのコンセプトをロジカルにしたものが、後の「誘導都市」プロジェクトです。
青山製図専門学校完成時の
『コンペ&コンテスト』
「兵庫県立西宮芸術文化センター」
コンペ案
撮影:MAKOTO SEI WATANABE/
ARCHITECTS' OFFICE
確か
『コンペ&コンテスト』
誌で僕がインタビューしましたが、その時に“遠い建築”と言っていませんでしたか。
はい。それは、建築なのだけれど、その時点での建築はこういうふうになくてはいけないということから離れようという意味での“遠い”です。“遠い”のはそれまでの建築の常套解からの距離であって、建築に課せられた解決すべき義務はきちんと果たしている、責務を放棄してアートワークに逃げているのではない、ということです。
あれ以来味をしめたのか(笑い)、渡辺さんはコンペが好きだという印象があるのですが、その他にはどんなコンペをやりましたか。
でき上がったものでは、「飯田橋駅」がそうです。
渡辺さんはコンペをやろうと決定する際に、応募要項の審査員、賞金、敷地などのどこに主眼をおいていますか。
まずは公平なコンペかどうかというのが最初です。怪しくないものを前提にした場合(笑い)、そして実現が前提のコンペの場合には審査員ですね。新しいものを求めようとしているのかどうかは、誰を審査員にしたかで概ね分かるでしょう。
「兵庫県立西宮芸術文化センター」
も大きなコンペでしたね。
あれは芦原義信さんが審査委員長で、内井昭蔵さんと近江さんも審査員、それに主に役所の方々等だったと思います。
劇場群と商業機能の巨大複合施設なのですが、私はよくある機能別の分棟でなく、地形も含めて全体を一体化したひとつの街か村のようにする案を提示しました。2段階コンペだったのですが、現地での2回目の審査日にまだパネルができていなくて、行きの新幹線の席をみんなで占領して車内で仕上げました。当時の新幹線はよく揺れて、まっすぐ貼れなくて(笑い)。審査の後に委員長の芦原さんから、「しっかり頼む」と言われて、これは夢かと喜んでいたのですが、まさに一夜の夢でしたね(笑い)。その後、芦原さんは大江戸線のコンペでも審査委員長でした。不思議なご縁です。
K-MUSEUM
撮影:MAKOTO SEI WATANABE/
ARCHITECTS' OFFICE
村のテラス
撮影:MAKOTO SEI WATANABE/
ARCHITECTS' OFFICE
「兵庫県立西宮芸術文化センター」は実際に建っているのですか。
全体プログラムは変わったらしいですが日建設計により立派にできているようです。
でき上がった作品で
「K-MUSEUM」
や
「村のテラス」
を見ると、渡辺さんは長い空間が好きなようですね。
そうですね(笑い)。「東京住宅」も全体としては四角いのですが、横に長いものが層状になっています。
何か長い空間にオブセッションがあるのですか。
動きだと思うのです。長いものというのは方向性があります。四角いものは、どっちに行ってもいいわけですよね。まず動かないことが本性であると。でも例えば(手にしたボールペンを指して)これは、誰でもこっちが前だと思いますよね。この物体はこっちに行きたいわけです。動いて行きたいという性格をもっています。