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■ 隈さんの作風
「弱い建築」を可能ならしめる材料へのこだわり
『GA ARCHITECT』に掲載された論文に「弱い建築」というのがありますが、これはどういう意味ですか。

僕なりに自分の10年間を総括してみると、要するに「M2」の後の10年間を総括してみた時に、どういう言葉でまとめるのがいいかなと思っていたところ、“弱さ”という言葉に思いあたったんです。「M2」は強すぎたと思ったわけです。デザインしている時は東京のカオスみたいなものを建築化しようという意図がありました。環八がもっているカオティックなダイナミズムを建築化してやろうという意識があって、環八の環境に合わせることは意識しているんだけれど、結果として出てきたものが、環境より強かったなと。その強さというのはコンクリートというマテリアルのもっている強さをそのまま建築にしてしまったからだと思ったわけです。それでコンクリートから脱却しようと決めた。地方の仕事でコンクリートを脱却してつくってみたんだけど、何かすごく建築が違ってきた。自分で自分の建築が変わってきた感じがした。コンクリートではない、木とか、紙とか、土とかいうものがもっている弱さみたいなものが、そのままで建築になればいいなと。それを妙に造形して強くしようというのではなく、もののもっている弱さというのは、もののもっている優しさだし、親しみやすさだと思うので、それをそのまま建築にできないかなというふうに考えたんです。
建築はいわゆる人間を守るためのシェルターですが、弱いとどうなのでしょうか。

もちろん建築はシェルターとしての最低性能は保たなければいけないんだけれど、弱いと人に好かれるんですね、なぜか。
確かにコンクリートより、木や漆喰のほうに温かみを感じますね。

普通の人はそういうものを建築家に頼んではいけないと思っていたわけです。やっぱり建築家はコンクリート打放しにガラスにアルミでしょう。建築家はそういうものが好きな人達ですよね。木にしてほしいとか、簾を張ってほしいとか、建築家に頼んではいけないと思っていた人が多くて、そのぐらいに建築家の美学というのは、冷たくて強いほうに片寄っていたと思うんですね。それを逆の方向に、弱い方向に振り戻したい。実はそういうことをこの10年やったんではないかと気が付いて、あの論文を書きました。
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水/ガラス
撮影:藤塚光政
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森舞台/登米町伝統芸能伝承館
撮影:藤塚光政
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森/スラット
撮影:藤塚光政
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馬頭町広重美術館
撮影:藤塚光政
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GREAT WALL
撮影:淺川 敏
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ONE表参道
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高柳町陽の楽家
撮影:藤塚光政
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安養寺木造阿弥陀如来坐像収蔵施設
撮影:阿野太一
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石の美術館
撮影:藤塚光政
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LVMH大阪
撮影:阿野太一
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サントリー美術館
撮影:藤塚光政
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左:ピエール・ド・ムーロン、
右:ジャック・ヘルツォーク |
そういうマテリアルを使ってつくった建築が隈さんのおっしゃる「弱い建築」なのですね。そうするとそれより以前に執筆された『負ける建築』というのも同じ意味なのですか。

同じ意味ですね。
「水/ガラス」「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」「森/スラット」「馬頭町広重美術館」「GREAT WALL」「ONE 表参道」など繊細な細い格子のデザインが多いですが、何かオブセッションがあるのですか。

建築を弱くするためです。ベタっとした壁は何となくこちらを拒絶しているみたいな感じがするから、こちらをウェルカムにしている感じ、心を開いてくれて、中まで少し覗かせてくれている、そういうウェルカム感をつくりたいわけ。その時に簾みたいに細いときもあるし、もう少しごつくなるときもあるし、いろいろな格子が登場するんです。
コンクリートの対極みたいなものですね。

建築を始めた頃、みんなが安藤さんの打放しの強さみたいなものに行ったけれど、僕は違うほうに行きたいと思ったのは、それがあったのかなと思えます。自分の家が戦前の木造でボロボロの家で、当時から友達の家と全然違ったわけです。その頃の友人の家はアルミサッシとかビニールクロスとかの出だしだから、ツルツル、ピカピカだったわけ(笑い)。自分の家だけが昔の土壁で、畳の上に土がボロボロこぼれるんです(笑い)。あの気持ち良さを何とか建築にしたいというのが心のどこかにあったんじゃないかな。でも崩れる土壁をどうやって建築作品にするかということがまったく見えなかったけれど、やっと見えるようになったのがこの10年くらいです。
今回の改めて隈さんの作品を見ていくと、非常に材料にこだわっていますね。「馬頭町広重美術館」の杉、「ONE 表参道」の唐松、「高柳町陽の楽家」の和紙、「安養寺木造阿弥陀如来坐像収蔵施設」の日干しレンガ、「石の美術館」の大理石、「LVMH大阪」のオニキス、こういうのを毎回やっていくのは大変でしょう。

それはすごく大変(笑い)。大変なんだけど、僕は逆に同じことをずっとやっている人はよく退屈しないなと思って感心しているんです(笑い)。
なるほど、逆にそういうふうに思うわけですね。

仕事があまりないとき、いくらでも時間をかけられるときには、小さい仕事でも退屈しないためにいろいろ考えるんです(笑い)。「石の美術館」には設計、工事含めて4年かかっています。「石の美術館」というのはすごく小さいものなんです。でも退屈しないということが僕にとってはすごく大事なことです(笑い)。
今のように忙しくなってもそれを続けられますか。

そのシステムが事務所の全員に浸透しているから、みんながどんどん考えてくれて、退屈しない(笑い)。
では所員も勉強しているのですね。

和紙にしろ、石にしろ、僕が全部実験をするわけではなくて、僕はつぶやく係なんです(笑い)。「こういうのできないかな」と(笑い)。つぶやいたときに即座に否定されるときもあるわけ(笑い)。そういうときにはやっぱり無理かと諦めるんです。相手が所員でも職人さんでも、僕がつぶやいたときの反応が違うときがあるわけですよ。むこうが息を飲んだ感じというのがあるわけ。「あっ」と。そういうときにはよしこれで突っ込もうとなるわけです。だからつぶやいたときの
、相手の声にならない声を聞いているんです(笑い)。
「サントリー美術館」の階段室は、静謐感に満ちてきれいでしたね。

あの階段だけをずっと設計していました(笑い)。
あの仕事は特命ですか。

特命でした。
すごくいいクライアントがいるのですね。それはやっぱりすごいと思います。隈研吾というブランドにお客さんが付いているわけですね。二川(幸夫)さんが「隈さんは将来大きい会社の社長になる」と言っていましたが(笑い)、僕もうなずけます。それは悪い意味ではなくてすごく仕事がたくさんくるだろうということです。

いえいえ(笑い)。
そして隈さんはここまですごいスピードでしたね。海外では隈さんと同様にヘルツォーク&ド・ムーロンもすごいスピードで作品を完成させています。彼らが出てきてから世の中の建築がすごく楽しくなったと思います。世界中の建築家が彼らに影響を受けていると思いますが、隈さんはヘルツォーク&ド・ムーロンをどう見ていますか。

すごく面白いと思うし、建築という領域とアートの領域を崩したということはすごく大きい
。僕が小さいものでも退屈しないというのは、結局それはアートなんだと思います。アートはこんなに小さくても、その中にストーリーや世界がつくれます。建築は今まで建築物という全体性に縛られていたけれど、彼らが出てきてから建築物というものに縛られなくなって、1個のディテールでも作品になり得るという世界を開いてくれた。僕もすごく気が楽になったというところはあります。
隈さんの話を聞いていると、材料をいろいろやるところが彼らと似ています。隈さんは日本のヘルツォーク&ド・ムーロンですね。

彼らも僕の作品集をもっていて、見ているらしいですよ(笑い)。
そうでしたか(笑い)。

材料と光とか、そういうものに関する感性については、僕のほうがトレーニングしているんじゃないかと思っています(笑い)。
それは僕も作品集を見ただけでも感じました。
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