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■ 学生時代の思い出
都会と田舎を股にかけたハイブリッド少年
隈さんは横浜出身ですが、横浜のどこですか。

東横線の大倉山です。
生まれも育ちもそこですか。

ずっとそこです。
当時、大倉山はどんなところでしたか。

僕は駅から100mくらいの駅前みたいなところに住んでいたんだけど、そこあたりから田んぼが始まっていました。だから駅前商店街は100mもない感じ。今はすごく変わりました(笑い)。
まだ田舎だったのですね。当時はどんな遊びをしていましたか。

僕は田園調布の小学校に行っていたんですよ。田園調布の学校のそばの遊びというのは、完全に都会の遊びなわけ。学校の帰りに自由が丘に行って遊ぶみたいな、小学生なのに不良っぽい遊びをしているわけです(笑い)。大倉山に帰ると、田んぼの中でザリガニを採ったり、裏の竹林の中でキジを追いかけたりするような世界ですよ。田園調布と大倉山は東横線で15分くらいじゃないですか。そのギャップたるや…。わずか15分の距離で都会的不良小学生生活とローカルな素朴小学生生活の両方を味わいました(笑い)。
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幼少期の写真 |
小さい頃からハイブリッドですね。

ハイブリッドでした(笑い)。あの時は今以上に都市と郊外のギャップがありました。今は東京が広がっちゃったじゃないですか、当時東京はまだ小さかった。大倉山あたりでもボーダーがあった気がしました。
隈さんは背が高いですが、身長はどれくらいあるのですか。

183cmです。
かなりありますね。小さい時から高かったのですか。

割と高いほうだったかな。伸びるのは遅くて、高校の頃に一番伸びました。
スポーツは何かしていましたか。

中学、高校とバスケットをやっていました。
ポジションは。

センターでした。
栄光学院に行かれていますが、中学からですか。

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代々木体育館
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丹下健三氏
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黒川紀章氏
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スチールハウス
撮影:藤塚光政
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中高一貫だから中学からです。
僕は北鎌倉だったのですが、栄光は有名校で、僕のクラスからはひとりだけが栄光に行けたくらいでした。

じゃあご近所じゃないですか。小学校は何小学校だったのですか。
北鎌倉と大船の間にある小坂小学校でした。僕は近くの中学校に行ったのですが、栄光と聞いてやっぱり名門コースを進んでいるなと思いました(笑い)。建築家を意識したのは栄光時代ですか。

そこに関してだけは早熟で、小学生の頃、東京オリンピックの時に、オリンピック建築を見て、建築をやりたいと思ったんです。それこそ建築の哲学を語って「代々木体育館」とか、テレビに丹下(健三)さんや黒川(紀章)さんが出ているのを見て、これは面白そうだなと思いました。
丹下さんの「代々木体育館」から影響を受けた建築家は多いですね。

あれはカッコよかった。中学の頃にはあのプールにしょっちゅう泳ぎに行っていました。
大学に東大を選んだのは。

建築は東大、早稲田がいいみたいな時がありました。この間、中学の時からの親友の廣瀬通孝のために東大の目の前に「スチールハウス」という鉄の家を設計しました。彼がめちゃめちゃの鉄道ファンだから、貨車みたいな鉄の家をつくったんです(笑い)。その廣瀬と僕は絵がうまかったんで、高校3年になった時に美術の教師に呼び出されて、「お前たちは芸大の建築を受けろ」と言われました。その美術の教師は横国の建築を出て美術の教師になっていて、すごく建築好きで、美術の授業で建築の話をする面白い教師でした。びっくりしましたね。「芸大の建築なんて10何人しかとらないから、そんなところ入れないよな」と廣瀬と話していましたが(笑い)、その時は廣瀬も建築志望で、ふたりで建築家になろうと話していました。
彼も東大に入ったのですか。

ただ廣瀬は東大に入ってすぐに、賢くも情報系に目覚めて、今は情報のほうの先生をしています。
東大の同期の建築家は。

いっぱいいますよ。小林克弘とか、小林正美とか、片木篤とか。みんな先生になっていますね。
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小林克弘氏
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小林正美氏
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片木 篤氏
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大江 匡氏
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團 紀彦氏
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芦原義信氏
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大江(匡)さんや團(紀彦)さんは。

大江は同じ。團はふたつ下です。
東大での先生はどなたですか。

芦原(義信)先生、内田祥哉先生、香山壽夫先生といった面々です。
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