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出生の秘密(笑い)。生まれたのは長野県上田市です。僕のおやじは折口信夫の弟子で短歌をやっていたんですが、信州は封建的でしたからね、長男のおやじは結局東京から長野に連れ戻されたんです。そして上田高校というところで教師をやっていたんです。
長野高校でした。というのは上田に中学2年までいて、中学3年になるときに志賀高原の麓にある中野市におやじが転任になったんです。中野から進学校で行く高校というと長野高校なんです。電車で片道1時間かけて通いました。校風柄、真冬でも下駄履いてね(笑い)。 まったく考えていませんでした。小さいときから絵はうまくていろんなコンクールで賞をもらったりしていたけれど、一番はまったのは蝶採集で、ともかく山道を駆け回っていました。僕は中学まで陸上が得意でどういうわけか走るのが速かったんです。走り高跳びもベリーロールが得意だったんですよ。公式記録じゃないけど、スパイクを履くと100m11秒ですから(笑い)。 その足の短さでそんなに速く走れるわけはないと、今は誰も信じてくれませんけれどね(笑い)。でも高校に行ってからは、変なほうに気持が動いてしまって。それにね、11秒を切るやつは全国レベルでみればいくらでもいるんです。 女の子のほうにね (笑い)。まあ、男の子だったらみんなそうでしょう。というのは上田よりも長野のほうが都会です。中野から電車に乗って長野に通って、学校が終わった後に長野市内をみんなでウロウロ遊び歩いたりすると、だんだん変なことを覚えるわけです。そうすると100mで頑張ろうという純粋さが失われていくんです(笑い)。それでジャズ・クラブでギターをやっていたんです。ところが長野高校のジャズ・クラブは僕がやりたかったモダン・ジャズではなく、ニューオリンズのジャズだったので、途中で辞めてしまいました。それから写真部にも入っていました。写真部にはなぜ入っていたかというと、田舎なのでたまに女優さんとかキレイな人が撮影会で来るわけです。それを僕も撮りたかったんです(笑い)。結構いい写真が撮れて、学園祭でそれを展示するとみんな売れちゃうんです。それでね、調子にのっていろいろ女の子の写真を撮ってあげたんです。喜ばれましたね。みんな僕より年上だったけれど。
実は長野高校も2年生から3年生になるときに転校しているんです。今度はおやじが飯田風越高校に転任になったんです。それでそのときは知りませんでしたけれど原(広司)さんの出た飯田高校に編入しました。これはものすごい田舎に来ちゃったと思いましたね(笑い)。天竜川の谷あいの小さな街で、長野に比べるとすごく田舎ですからね。それでグレちゃいました(笑い)。 いえいえ。芸大を志望する気なんて毛頭ありませんでした。無免許でオートバイに乗ったりしていましたし(笑い)。でもね、車の運転は中学生のときからやっていましたよ。母親が40歳のときに車の免許を取ったんですが、僕が毎日教えてあげて一発で取れたんです。手を付けられない悪ガキで、おやじもおふくろも腫れ物に触るような感じでした。それが頂点に達したときに、「お前なんかは世の中の何の役にも立たないやつだ」と言われたわけです。それで頭にきて「僕は芸術家になる」と宣言しちゃったんです(笑い)。子供は思ってもみないことを口にすることがあるでしょう。正にそれなんです。それですかさず美術部に飛んでいったんです(笑い)。気が小さいんですよ、僕は。
窪田くんというものすごく絵のうまい同級生がいて、彼に相談したら「手始めにこの石膏像を描いて」と言われて、一番簡単なヘルメスだったと思いますが、描いたら意外にうまいんですよ。窪田くんは武蔵美の油絵に行ったんですが、セザンヌみたいな絵を描くんです。高校3年のときも彼の描いた絵がなぜこんなキレイな色が出せるんだと、惚れ惚れとしていました。彼に手ほどきを受けて、バチカン宮殿の写真を見ながら描いたんです。それが結構うまく描けて、これはいけるかなと思いました。でも油絵は無理だろうなと、そこのレベルまではいかないんです。それでいろいろ考えて、芸大で可能性が1%でもあるとすれば芸術学科と建築学科しかないなと。他はとてもじゃないが歯が立ちません。窪田くんにも「うまいけど、油絵は無理だよな」「絵描きはやめたほうがいい」(笑い)と言われました。芸術学科は試験の論文がすごいんで、残るとすれば建築学科。でも受かる可能性はほぼないと、相当暗い気持になっていました。今でも覚えているのは受験のために東京に出る前の2月の初め頃に、雪の中で傘をさしながら飯田高校の校舎を描きました。オレンジ色の大学受験案内で芸大の建築を見ると、写生が1日、造形の試験が1日、面接、そして学科は8科目位ありました。だけど問題はすごく簡単で学科は楽勝だと。今まで飯田高校では芸大の建築を受けた人はひとりもいないので、全然わからないんです。ともかく写生は建物を描かせるというので、何の変哲もない飯田高校の木造の校舎を描きに行ったんです。寒いし、雪が降ってくるし、東大を受ければよかったかな、芸大を受けるなんて言ってしまったからと本当に泣きそうになりましたね(笑い)。
1学年15人で、木村丈夫くんとか、野田俊太郎くんが同期ですね。まったく受かるなんて思ってなかったから驚きでしたね。 無免許で車も運転していましたからね(笑い)。でも気が小さいから人に見つからないようにコソコソやるわけ。そこが可愛らしいというか、根性がないというか(笑い)。
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