舞台美術からスタート ■■■インターディシプリナリィなコラボレーション
「ONE OF A KIND」の舞台空間のデザイン
「ONE OF A KIND」の舞台空間のデザイン

イリ・キリアンとハーグのレストランで
イリ・キリアンとハーグのレストランで

の有名な舞台美術「ワン・オブ・ア・カインド」は非常に造形的ですが、あれはどういうことできた仕事ですか。
あれはオランダの憲法制定150周年記念の大きな国家行事があって、その一環です。コールハースが設計した「ルーセント・シアター」という劇場をホームシアターにしているネザーランド・ダンス・シアターというオランダの国立バレエ団があるんです。その国立バレエ団に政府が憲法制定記念のバレエ製作を委嘱したんです。それを受けたのが国立バレエ団のトップで芸術監督のイリ・キリアンさんで、そのキリアンさんが僕のところに舞台美術をやってくれときたんです。

それはいきなりですか。
キリアンさんと僕はその時点ですでに知り合いでした。「395」などの作品がオランダの雑誌にまとめて紹介されたんです。それを見たキリアンさんが、日本に変な建築をつくっている変なやつがいるから、そいつに会おうと突然訪ねて来たんです。来たら上半身脱いで、バレエのフォームを始めたんです(笑い)。まいったなと思いながらも、面白いのでいろいろ話をしました。覚えているのは「ダンサーは瞬間的に空間を構想する建築家なんです」という一言です。「ダンサーというのは常に空間をイメージしなければフォーメーションができない」と言うんです。それは僕も確かに共感できると思いました。それはそれで忘れていたら、日本公演の招待状を送ってきて、それでつきあいというほどではありませんが、キリアンが日本公演で来ると、か
みさんと見に行ったりしていました。そして依頼がきたわけです。やりたいけれど国家行事だと言うし、失敗したら大変だと思って、そういうものはやったことがなくて全然わからないから止めておこうと丁寧なお断りの手紙を送りましたが、「どうしてもやってほしい」というファックスがきて、結局説得されて、1年間ほど月に2回位オランダに通いました。楽しかったですね。

この仕事は北川原さんにとって勉強になったというか、ある意味を与えたのではありませんか。まず建築とは違う造形で建築よりも小規模ですが、他の芸術とも融合しています。その辺で何か北川原さんにとってプラスやメリットがあったのではないでしょうか。
この仕事をやるまで建築を設計しながらも、実は人体のスケールを、コルビュジエはモジュロールをつくってやっていたけれど、僕らはそういうものを机の上で学んでいたわけです。そして実際に設計をするときも観念的に頭の中で想像しています。例えば扉の大きさ、廊下の幅、天井の高さなども想像して設計をしていたわけですが、この舞台では舞台セットと人体がダイレクトに関わるんです。つまり身体と空間がこれほど密接に融合するというか、身体と空間の応答関係がこれほど厳しく問われる仕事は正直やったことがありませんでした。そういう意味では建築というのはリダンダンシーがあるというか、冗長度が大きいわけです。ところが舞台の場合には踊り手とどう関わるかは真剣勝負でした。しかも身体は動くわけですから、その身体に僕がつくる舞台の形がどう応答できるか本当に厳密に問われます。それがとても勉強になりましたね。それは建築の仕事をしていく上でプラスになったので、非常にいい経験でした。

舞台美術「ワン・オブ・ア・カインド」では受賞もされていますね。
ベッシー賞というのですが、それはニューヨーク・ダンス・フェスティバルの舞台美術部門で受賞したものです。で、僕が授賞式に呼ばれて行きました。またニジンスキー賞という賞も受賞しましたが、これは振付家に与えられる賞なんです。「ワン・オブ・ア・カインド」の振付けをしたイリ・キリアンが受賞しました。これは建築で言うとプリツカー賞なんです。世界最高賞です。ニジンスキー賞のトロフィーはロダンがつくったニ
ジンスキーの像で、売ったら2,000万円位するものです。キリアンに「アツシ、これ持っていっていいよ」とか言われて、持ってきたかったですけれどね(笑い)。

ベッシー賞ではどんなものをいただいたのですか。
賞状と小額の賞金だけで、トロフィーは出ませんでした(笑い)。淋しいでしょう(笑い)。でも日本人では初めてだと言っていましたね。

北川原さんは他の分野とのインターディシプリナリィなコラボレーションをイヤと言わないでしょう。僕は「TEORIA(テオリア)」を覚えています。あれはどういうことでふたつの分野が結びついたのですか。
あのときは建築家が誰か他のアーティストを連れてきて、いっしょにやりなさいという企画だったんです。それでいろいろ考えて、写真家の友達の高木由利子さんに声を掛けたら「やってもいいわよ」と言うので。僕は高木さんの作品が昔から大好きでしたから、何か高木さんといっしょにやることで、写真空間に対する高木さんの感性みたいなものが学べるかなという気持がありました。高木さんがそのためにいろいろ撮りおろしをして、あのときには古い木の実などを拡大しています。僕は今までそういうところに空間を感じたことがなかったのに、実は木の実の中に恐ろしく大きな深い空間があって、そういうところを写真家は見ているのかと。楽しかったですね。
TEORIA (テオリア)
TEORIA (テオリア)

ギャラリー間における北川原温展のポスターのための写真習作
ギャラリー間における北川原温展のポスターのための写真習作
(撮影:高木由利子) 

そういう他分野とのコラボは他には何かやりましたか。
「昭和記念公園霧の森」では中谷芙ニ子さんという霧のアーティストとやっています。水を霧状に噴出して出す非常に高性能なノズルを開発して特許をもっているんです。あれは中谷さんから声が掛かって、「ランドスケープ・デザインをやってほしい、そしてあなたの言われた通りにノズルを配置する」ということでした。あれは建設省の仕事でしたが、最初の提案はコスト・オーバーで却下されました(笑い)。ふたつ目の案が予算に合って完成しました。あれも面白かったですね。
昭和記念公園霧の森。 昭和記念公園霧の森。
ランドスケープ・デザインと霧のノズルの配置を担当。


やはりいろいろなことをやっていますね。建築家が他のジャンルとコラボをするというのは、ダニエル・リベスキンドが形而上学的装置という「建築を読む機械(ペトラルカ)」「建築を記憶する機械(エラスムス)」「建築を書く機械(ヴォルテール)」などをやっていましたし、レンゾ・ピアノもヴェネチア・ビエンナーレで「プロメテオ音楽スペース」をやっていました。そういう新しい建築家
太鼓奏者の大倉正之助氏
太鼓奏者の大倉正之助氏
左は北川原夫人

チェロ奏者ピーター・ウィスペルウェイとピアニストのディヤン・ラツィック
チェロ奏者ピーター・ウィスペルウェイとピアニストのディヤン・ラツィック
の活動を北川原さんの仕事の中に見出しました。これからもぜひやってください。
やりたいですが、なかなかプロジェクトとして実現するというのは難しいですよね。ただそういう機会があればのめり込んでしまうほうですね。

別の分野とやるとしたら、どのような分野がいいですか。
やっぱり音楽かな。

音楽で北川原さんが実験的なことをされる可能性はありそうですか。
人間国宝の大倉正之助さんという大鼓の奏者がいるでしょう。今まで何度か能楽堂などで遠くから見ていたんですけれど、ひょんなことからお近づきになって、先月家に来たんです。僕の友達にピーター・ウィスペルウェイというチェロ奏者がいます。今、ヨーヨー・マを含めて世界的なチェロ奏者が5人ほどいるんですけれど、そのひとりです。彼は日本公演のときに僕の家に遊びにくるんですよ。先月もオペラシティで演奏して、その後サイン会が終わってから来ていたんです。そうしたら大倉さんから電話があって、「今、ピーター・ウィスペルウェイというチェロ奏者がガダニーニのチェロを
もって来ているんだけれど」と言ったら、「今すぐに行く」とアルファロメオに乗ってビューと来たんです(笑い)。いつもは大きなバイクに乗っている人なんですが。外国人に聞かせたかったんじゃないでしょうか。演奏を始めたらみんな緊張してシーンとなって、能舞台に亡霊が顕われるときのような張りつめた空気でした。大倉さんが帰りがけに「北川原さん、今度舞台をつくってもらおうかな」と言っていたんですよ。「大倉さん、それやりますよ」(笑い)と。

今度は経験がありますからね。
結構自信をつけました。建築家は器用なんです。だから舞台美術も最初は非常に躊躇したんだけれども、意外とやってみるとできる。ああ建築家はやっぱり何でも屋なんだな、これなら仕事がなくなってもいざとなれば何でもできると思っています(笑い)。そう言えば家具や小物類のデザインなども結構手掛けているんです。
棚「Verdi」
テーブル「Gold berg」
テーブル「Gold berg」
棚 「Verdi」





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