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■ 幅広い活躍
小説も書く建築家
今、日本の建築家はどんどん海外へ出掛けますが、團さんは年にどのくらい出掛けますか。

ヨーロッパのコンペにまだ入ったことがありませんから…。
アジアには頻繁に行くのでしょう。

台湾には行きますね。あとは中国の国際コンペには招待されています。
展覧会や講演会などもあるでしょう。

最近はあえて旅行を少なくして、ここにびっちりいます。僕らの世代は全員大学教授になっていますけれど、今、僕は大学で教えていませんから。かつて正式な形の常勤講師として東工大に3年半呼ばれています。これは山下和正さんがお辞めになったあとに、教授、助教授として東工大の清家(清)先生とか、篠原(一男)先生とか、谷口(吉郎)先生がいたメインの講座に、誰もいなくなってしまったというので、講座の先生と仙田(満)さんから「来てほしい」と頼まれたんですが、僕は事務所をもっているし、そんなに長くお勤めできませんからということで、講師ということであればとお引き受けました。光栄なことに助教授と言っていただいたのですが。
教授などになるのは團さんの主義ではないのですか。

東工大の時に学生と理論的な話をするのはすごく好きでしたし、自分にとってもプラスになったけれども、ずっと大学にいるのは止めようと思って、以後他からもいくつかオファーはありましたけれど、引き受けていません。僕は実務をちゃんとやっていかなくてはいけないと思ったんです。
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事務所風景
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現在、事務所のスタッフはどのくらいですか。

今、13名です。
増える方向ですか。

そんなことはありません。青島くんとやっていた時には、20名ちょっといましたね。大江(匡)さんが今220名と聞きましたが、とてもじゃないけれど僕には無理です。やっぱりひとりで見れる人数がありますから、僕の実力では12、3名です。
それくらいが適正規模ということですか。
 魚を釣って来て、さばいて、お刺身を食べるには、それくらいの人数でしょう(笑い)。規模としては、顔が見えて、一人ひとりと話ができるようにしないと。
1度そのお刺身を食べる会に僕も呼んでください(笑い)。

お呼びしますよ。
團さんの好みの建築家は、古今東西どのようなタイプですか。
 コルビュジェも好きですがやはり原点はブルネレスキです。奇人変人の部類に属し、フィレンツェのドゥオモのコンペでは3回も審査会場からつまみ出されている。世渡りが下手で、ギベルティとともにふたつの重要なコンペでともに1等を取りながら常に辛酸をなめている。しかし世界で初めて透視図法を発明し、ドゥオモの二重殻ドームを実現するなど、真の孤独の中から優れた業績を残した人です。構想力と、物事に対する卓越した“構造的な視点”をもった天才だと思います。
今、気になる建築家は。
 それはいっぱいいます。自分の考え方とは違っても、優れたものを創る人は受け入れるまでに多少時間がかかっても常に尊敬しています。
團さんは小説も書かれていますが、『るにんせん』はどういうことから書くことになったのですか。

2001年に父親が中国で亡くなって、「八丈島のアトリエ」が残りました。本を整理していたら、昔よく読んだ『八丈島流人銘名伝』というのがありました。懐かしく再読しているうちに、自分が興味をもった何人かの流人たちがほぼ同時期の人々であることがわかったんです。それをさらに調べていくうちに、何かあると思うようになって、歴史の再構築を試みたのが『るにんせん』です。
『るにんせん』は『るにん』という映画にもなっていますね。『週刊文春』に『魚と私の間に旨い酒』というエッセイも掲載されていましたが、團さんの好きなアルコールは?

日本酒が好きです。日本酒に合う魚をよく獲っているから(笑い)。
『BRIO』に掲載された「横浜・神戸中華街は大人のテーマパークだ」はどういう内容ですか。

横浜は子供の頃、年に1度行けるかどうかの憧れの大都会でした。特に中華街はね。三浦半島の田舎育ちでしたので(笑い)。
今日はいろいろなお話を伺うことができました。ありがとうございました。
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