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信念に従った勝利
   カナダのカルガリーを破って万博を日本へ


ギャラリー・間での展覧会の時に、確か「アーキペラゴ展」というタイトルでしたが、あれはどういう理由からつけたものですか。

アーキペラゴは群島の意味です。多元的な世界を象徴しています。ちょうど20世紀モダニズムと今日のグローバリズムが、海に浮かぶ船のように思えたので、それと対比的に用いました。いろいろな文化や地形をもつ島々が好きだということもありますが…。

「トポスの復権」という展覧会もコーディネイトしていましたが、どういう理由でコーディネイト役がきたのですか。

和気(雅子)さんと福永(としこ)さんという文化的に極めて意識の高い方々から、建築とアートの関係をもう1度考え直して、そこに一石を投じるような展覧会を考えてほしいという依頼がありまして、美術評論家の建畠晢さんと建築評論家の馬場璋造さんに相談して進めました。大規模開発などで、アートワークが計画の最終段階で、まるで置物を選ぶように、選定されていく不幸な状況があって、そういうことから脱却しなければならないという思いがありました。むしろアーキテクトとアーティストが出会うところから出発して、どのようなトポス(場)が構想されていくかという遺伝子を探ってみたかったんです。福永さんのご主人は、槇さんの事務所でチーフアーキテクトをしている福永知義さんですから、ご主人からのアドバイスもあったのではないかと思います。

愛知万博・会場構想共同提案
愛知万博・会場構想共同提案

愛知万博の際に隈研吾さん、竹山聖さんと会場構成の共同提案を出していましたが、あれはどうなったのですか。

当時、万博会場として、カナダのカルガリーと瀬戸市南東部の海上(かいしょ)の森が立候補をしていました。パリに本部があるBIE調査団というビューローがあって、そこに対して、カナダも日本もプレゼンをするわけです。日本へ誘致するための案をつくってほしいと、隈さん、竹山さん、僕に話が来ました。敷地に2本の高速道路と1本の県道が通るということは決まっていました。これによって何百万m2という残土を出してしまうので、この道路はまずいのではないかと考えていました。ただ大量の人々を名古屋駅から輸送するためには、この道路はやむを得ないと、受け入れることにしました。しかし、ここに新住事業というのがあって、ここに大造成をかけるというのがわかって、万博が先に発想されたのではないことに気付いたんです。初めから海上の森のようなところに団地をつくるというと、自然保護団体の反対運動が起きてしまいますから、万博は新住事業も背景として計画されていたのです。

そうだったのですか。

これは全力を上げて阻止しなければならないということになったわけです。そのためにはどうしたらいいか。まず起伏の富んだAゾーンの造成を止めさせるために、ここにつくるパビリオンを、道路間の11haに集約しようと提唱しました。それでかなり大きな地形状の建築物をつくって、そこに将来の集合住宅としてのフレームをつくっておく。平場造成ではなく、集合化する。その中を空洞化して、その中で万博を行う。一切の使い捨てをしなくて済む。そもそもカナダのカルガリーの敷地は港湾の埋立地で、すでにある程度整備されていて、自然に対するインパクトは与えてしまったあとでした。ところが海上の森はまだ森林ですから、それを大造成して、大自然破壊をした場所で、環境をテーマにした万博を行うというのは矛盾していると真面目に考えたわけです。エコ・シティというものをつくって、その中にすべて収容し、こちらはエコ・パークとして10%程度の最小限の建蔽率で、パビリオンを地形にフィットさせるように張り付ける。お皿のグラウンドは自然地形で、その中のエレメントは建築物で、逆にこちらは全部が建築物でそこに自然のフラグメントを位置付けていく。結局、日本誘致が決まりました。直前まで「エコ・パークにもっと容積を移してほしい」と頼まれましたけれど…。

それでスタートしたのですか。

見切り発車しました。「確かに環境論的には正しい。この提案で説明しないと、カナダとの誘致には勝てない」と、BIE調査団のロセルタレス事務局長とフィリップソン議長にプレゼンをしたわけです。そうしたら彼らから各国大使に「日本が土建国家から環境型の国家に変ろうとする、産みの苦しみを伴った計画である」と、「確かに内部でもいろいろな論争があるところ、あえてそういう提案をしてきた。これは評価すべきである」と伝えられ、圧倒的な票数でカナダに勝ちました。

本当にいい提案をしたわけですね。

その後、博覧会協会ができた段階で、チームが再編され、原案を推進しようとした私は中心からはずされました。提案は大きく変更され、エコ・パークを提案していたところに建蔽率70%で建築物が建つことになりました。しかしマスコミには「巨大構造物を否定して、森の中の分散型へ」と流しているんです。巨大構造物はダメで、森の中の分散型へというと、誰もがそのほうがいいと思うじゃないですか。肝心な建蔽率が70%だということは絶対に言わないんです。建蔽率70%というのは都市の市街地並で、大々的な造成になるということがわからないのかと、僕はいろいろそれを証明しました。その後の顛末については、ここでは控えますが、海上の森での開催は一部を残してキャンセルされましたので、結果として海上の森の保全という当初の目的は達成されました。仲間達との友情にヒビが入ったり、いろいろ辛かったけれども、エコ・パークとエコ・シティという案が捨て身となって、海上の森の大造成は止めさせることができましたのがせめてもの慰めですね。

團さんは、結果として勝ったわけですね。

そうかもしれません。





  
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