■ 湘南の思い出
海に魅せられた建築家
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葉山の実家
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團伊久磨氏
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子供の頃の写真
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素潜りの際の写真
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戦利品
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魚拓
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團さんの生まれは湘南だったと思いますが、詳しくはどのあたりですか。

生まれたのは葉山。葉山の海岸線を行くと森戸海岸があって、やがて葉山の一色御用邸に行くんですけれども、そのちょうど間くらいです。海の側の家で生まれました。
僕が『新建築』の編集部にいた時に、團さんの自宅が掲載されましたね。

実家ですね。もう残念なことに取り壊されてしまいました。
それはどこですか。

僕は葉山で生まれて、父親の都合で葉山の中を5、6カ所点々としています。僕が高校くらいの時に、前川國男さんの事務所にいて独立した奥村(珪一)先生という方に自宅の設計をお願いして、父は亡くなるまで、僕もしばらくそこにいました。その家が『新建築』に掲載されています。
そうでしたか。

昭和47年か48年頃だったと思います。
そうすると子供の頃の遊びは海ですか。

海でしたね。釣りをしたり、潜ったり。
今、この辺では海が見えませんから、海への郷愁があるのではないですか。

昨日も皆で釣ったカワハギをお刺身にして食べました(笑い)。
どこで釣りをされたのですか。

剣崎などですね。本当の僕の専門は潜りで、素潜りして銛で魚をとるんです(笑い)。潜りに行くのは八丈島とかで、釣りは東京湾、近いから。それで昨日もカワハギで肝和えなどもつくりました(笑い)。そんなことをやっています。
あそこの大きな魚拓も戦利品の証しですね。昔、会った時には東京湾で釣りをしていると言っていましたが、今もまだやっているのですね。

しょっちゅうやっています。麻布十番のへら鮒のつり堀にいるか、八丈島で潜ってカンパチや石鯛を銛で突いているか、東京湾の乗合い船で釣りをしているかのどれかです。夜メバル船や夜アナゴ船というのがあって、夕方6時に出て、9時半に港に戻ります。川崎や鶴見の工場地帯の夜景を見ながら、一杯やりながらメバルやアナゴを釣るのも粋なものです。少しオジサン臭いですかね(笑い)。でももうオジサンですから(笑い)。
八丈島へもよく行くのですか。

ええ、よく行きます。一昨年は24kgのカンパチを含め合計100kg、昨年9月には2時間で合計60kgのカンパチを銛で突きました。「八丈島のアトリエ」は一種の漁業基地、漁師小屋と化しています(笑い)。黒潮の空気を吸っていると生き返りますね。
それはいい息抜きですね。葉山のほうへ帰ることはないのですか。

僕はふたり兄弟で兄がいるのですが、兄は群馬大学で美術史を教えています。そういうことでふたりとも、あそこ(葉山の実家)をなかなか使いきれないので残念ながら売却してしまいました。中学は鎌倉でしたし、高校は藤沢の湘南高校で、心のふるさとは三浦半島なんです。今は釣りに行く機会くらいしかありませんけれど、今でも葉山近辺に行くと懐かしいです。
そうすると葉山にベースはないのですか。

もうありません。
葉山の辺りにも事務所がほしいと思いませんか。

少し離れたところで仕事をして、行きたいなと思った時に海に行くという感じですね。
いつか戻るのでしょうか。

うん。戻りたいですね。
大学も葉山から通ったのですか。

僕は浪人した時に東京で下宿をして、その頃から実家には週末に戻る感じでした。
毎日通うには遠いですね。

東京まで往復で5時間かかります。
そうするとクラブ活動もマリン・スポーツですか。

僕はヨットもやりませんし、サーフィンもやりませんでしたから、もっぱら釣りとか、潜りです。単独で磯からウェットスーツを着て、潜って、イシダイをとって、戻ってくる。そんな感じです。
丘でのスポーツは。

硬式のテニスは高校くらいからずっとやっています。淵上さんはテニスがお上手だと聞いていますが、今もやっているのですか。
下手の横好きですが、やっています(笑い)。

僕は釣りと潜りで、潜りは多少の運動になるけれど、テニスは運動不足だから自信がなくてできなくなってしまいました。
團さんは湘南ボーイでモテたんでしょうね。

昔のほうがモテたかもしれません(笑い)。今は見る影もありません(笑い)。 |