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連載も最終回である。今回は、取り上げる物件が自分も設計者として関わったものであること、また今までの5回の連載を第三者的な視点も入れて振り返りたいと考えたので、インタビュアーとして北京在住のフリージャーナリスト、林静さんをお招きした。彼女は最近建築のみならず、中国文化一般について日中両方のメディアに記事を精力的に寄稿されていて、今回のような内容をお願いするには適役だと思い、お願いしたところご快諾を頂いた。インタヴューは3件、デヴェロッパーの建築設計責任者、建築設計のディレクター建築家、それとモデルルームの設計を1棟担当した松原にそれぞれ林氏が直接会いにいって実施されている。以下は林氏によるレポートである。
●インタヴューの前に―現代の中国らしさとは何か
西洋式の模倣ではないが、復古的な伝統住宅の再現でもない。中国の伝統的な要素が斬新で現代的なデザインと溶け合っている、というのが「運河岸上的院子」の売りらしい。実際に物件の外見からは、確かに伝統的な四合院と似ているのは壁の灰色のみだといえそうだ。外国的でなく、中国的だが伝統の固守ではない住宅。ここで彼らが直接ライバルとして意識しているのは、「観唐」という名で少し前に売り出された、より純粋な四合院住宅への回帰を売りにした物件である。
このプロジェクトの大きな特徴は、もともとはスペイン風の住宅群として開発され、施工図までできていたのが、デヴェロッパーの意向で突然中国風の住宅へと改築されたものだという点。何の装飾もない壁と、ばさっと斜めに切ったような屋根は灰色一色。単純な形はいろいろと想像力を掻き立てるが、このようなモノトーンな外郭だと、内装のレベルが通常以上に問われることになるだろう。悪くすればまるで住宅らしくない、倉庫のような空間にもなりかねない。
しかしそこがまた面白く、中国的なのではないだろうか。住宅不足に悩んできた近代北京は、事務所、倉庫、教会、学校、寺院・・・などのいろいろな空間を強制的に住宅へと変えてきた記憶をもっている。強引に柔軟に、様々な空間を住宅に変えてしまってきたこの国で黙認されてきた空間の占拠における非常識さ、ひるがえせばある「枠」の中でこそ発揮される独創性といったものが、ここでは再び活発になっているのかもしれない。その意味で、艾未未氏や王永剛氏の時に実用性を度外視したアーティスト的感覚に満ちたモデルルームや、前衛アートの何雲昌氏や王興偉氏の作品の展示がここで行われていることは、物件のもつ独特の「カンバスのような真っ白さ」をうまくアピールしているようだ。「住む」ことがこんなにクリエイティブなことだったのかと思わせる、それこそがこの物件の魅力であり、参観者が「水に溶けた塩のように中国的なものと現代性が溶け合っている」と言ったというゆえんではないだろうか。入居を決めた人の中には建築家もいるのだとか。また、ディレクターや劇作家なども何人か見学に訪れているという。
しかし、冬が来ると運河は凍り、敷地にめぐらされた水路も、管の凍結を防ぐために乾いたまま。街路樹も若く頼りない。建物もほぼ灰色一色とあらば、かなり殺風景であることは確かだ。また敷地を一歩出ると、衛生条件が悪い農村のほこりっぽい風景が広がる。それまで私が中国各地で見た最も安い銭湯はシャワー一回5元だったが、ここには何と3元のシャワーがあった。
また、遠からぬ所に通州区の繁華街があるとはいえ、歩いていくのはかなり大変な距離だ。「運河岸上的院子」に住める経済レベルの住民なら、車が運転できないとそれこそ満足の行く生活必需品を買うのにも苦労するだろう。それこそ、16歳以上なら誰でも車を運転し、一家に車2台は当たり前、というようなアメリカ式の生活スタイルが実現できれば問題もないのだろうが。通州政府のバックアップもあるのだろうが、全体としては地区全体の開発と住民の生活スタイルの革命を期待しつつ奮闘中のプロジェクト、という感じが否めない。
「運河岸上的院子」に隣接した運河河畔は、住民のみが入れる公園スペースになる予定だという。広々とした水辺の風景を独占するとは、欧米のプライヴェート・ビーチ的な発想だが、警備上の負担は大きいに違いない。周囲の超田舎ぶりとの激しいギャップが強烈なだけに、治安の問題が気になるところだ。
貧富、生活環境の格差が広がる中国を端的によく反映した風景として、印象深い物件だった。
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