(http://www.americanrock.com.cn/PostModern/index.htm)
インタヴューの前に―
  標準的な民間マンションを探して
物件データ
インタヴュー1
インタヴュー2
インタヴューを終えて


●インタヴュー1

相手:李冀(北京墨臣建築設計事務所、副総経理/董事建築師、1972年湖南省岳陽生まれ)
場所:北京墨臣建築設計事務所(海淀区百万庄)
日時:2004年12月25日

墨臣(http://www.mochen.com.cn/)は中国の建築系のウェブサイトでも派手に求人をかけている会社なので、今回取材する前から私も名前は聞いたことがあった。北京でライセンスを持っている民間設計事務所の中では比較的大規模で、官営設計院とならんで大きな仕事をこなしている。事務所は設計事務所が多く集まる甘家口地区の、4階建ての小学校の校舎を一棟まるまる改造してオフィスにしていた。「後現代城」の一部分、まだ着工していない3、4期の設計に関わっており、プロジェクトの責任者から設計段階での状況を聞くことができた。

プロジェクトの経緯

松:最初にこちらの設計事務所と「後現代城」プロジェクトのご関係を伺いたいですね。どうしてこのプロジェクトに御社が関わることになったんですか?

李:私たちはこの計画の一部分だけに関わった設計事務所です。南側の高層部分4棟の設計をしました。

松:このプロジェクトは今の段階で2期までできていて入居も始まっていますが、こちらで設計されたのは3期に当たるところと考えていいですね。

李:そうです。いや正確に言うと4期かも知れません。3、4期にまたがっていてどちらが何期なのか正確な呼び名がよく変わるので(笑)、進行状況によって状況がよく変わるんです。このデヴェロッパーとは去年仕事の上で私たちと関係が多くありました。「新松集団」という会社で、たくさんのデヴェロッパーが組み合わさってできた不動産グループ会社です。


マスタープラン、北が上。北東ブロックが1期で北側に一列、南側に1列の住宅棟が見える。このブロックの南西角が集会所。北西ブロックが2期で北側一列がオフィス棟、南側一列が住宅。今回もう1つのインタビューで訪ねた住人の方さんのお宅はここにある。このブロックの南東角がアメリカカントリーハウス風のセールスセンター、将来的には商業施設として使われるのだろう。南東ブロックが3期で、南西ブロックが4期、3、4期にまたがる敷地最南側の4つの正方形プランの棟を墨臣が設計した。

松:以前にその会社とはどんな仕事をされたんですか?

李:さまざまな仕事を一緒にやりました。とにかくそんなわけで「後現代城」の前から関係があったんです。それで彼らは私たちの仕事の内容や対応を認めて、この「後現代城」の計画に、実際全体の計画はかなり進行していたんですが、私たちも加えることにしたんでしょう。

松:以前具体的にはどんなお仕事を彼らとされていたんでしょう?

李:最初からいきなり委託の設計を受けることができたわけではありません。最初はその会社が主催した、いくつかの設計会社が参加するような小さなコンペのようなものに加わる形でお互いの関係が始まりました。たとえばまだ土地の入手が決定していない段階での簡単なマスタープラン作成とか、そういうものですね。

松:土地が決定される前からそういう協働がありえるんですね。コンサルのような仕事なわけですね。

李:デヴェロッパーが土地を買う場合には、その土地にどういう可能性があるか研究しなくてはならないわけですから、その手伝いをしたりですね。そういう段階ではデヴェロッパーは設計院の協力が必要なんですよ。

松:この新松集団は北京に総本部がある会社ですか?

李:そうです。もちろん彼らの開発の範囲は北京に限らず全中国が対象になりますけれど。彼らの現在の大部分のプロジェクトは北京です。

松:この「後現代城」も、直接の施主はこの新松集団ということになりますね。

李:そうです、実際の仕事の上での窓口はこの集団の下の子会社でしたけれど。その子会社の名前は…そうこの資料に出ている北京金馬文華園房地産開発有限公司というところでした。

松:じゃあこの金馬文華園という会社が直接の施主なわけですか。

李:必ずしもそうとも言い切れません。一番最初のマスタープランの段階ではこの集団の総本部が私たちの窓口でしたから。個々の建築設計に降りてきた段階で別の子会社が今度は窓口になる。施工が始まるとまた別の責任子会社が出てくる・・・こういうことになってるんです。あえて言うならやはり新松集団というグループ全体がこのプロジェクトの施主になると思います。大きな集団の中に前期企画部門があり、後期執行部門は子会社にあるということになっているようでした。

松:なるほど。少し複雑なんですね。手がけられたのは何号棟なんでしょうか?

李:設計時は11、12、15、16号棟でした。

松:具体的にはいつこのプロジェクトは始まったんですか?

李:2004年の1月からです。方案設計(基本計画+基本設計)から始めました。

松:その段階ではこちらの設計範囲以外のところの設計はどうなっていたんでしょうか?どなたか別の会社が設計をしていたわけですよね。

李:UDS(連合設計)という北京の会社が設計をしていました。UDSはこの住宅地区の全体のマスタープランから1期、2期の方案設計、施工図設計までをすべて請け負ってやっていたところです。私たちとも非常にいい関係で仕事をしています。

松:こちらの設計範囲の北向かい住棟はやはりUDSがやられたことになるんでしょうけれども、設計を始めたのは御社とUDSは同時期だったんですか?

李:いえ、彼らのほうがだいぶ前に設計をはじめていました。

松:そうするとこちらで設計を始めたときにはUDSの案はもう見られたわけですね。

李:そうです。我々と彼らの設計の間では間違いなく連続性があります。さらに設計を始めるときには、UDSが作ったマスタープランの中で建物の大きさや位置はだいたい決定されていました。

松:逆にいうと、それまでずっとUDSに設計をやらせていて、施主はなぜこの一角だけを御社にやらせようということになったんでしょう?効率という意味からいうとだいぶ落ちると思うんですが。

李:そういうことは、中国の民間デヴェロッパーの仕事では往々にして発生するものです。施主は設計院を選択する権利があるし、同じ設計者にあまりに巨大なスケールをすべて任せると似てきて単調になる恐れがある。そこで多くのデヴェロッパーがプロジェクトの途中で別の設計者を呼んできたり、別の土地を足して別の設計院に設計させるということが起こるわけです。あなたが参加された「運河岸上的院子」でもそうでしょう?何人かの設計者に同時に設計させるのは、単調さを避けたいという開発側の動機がとても大きかったのではないですか?

松:そうですね。それから敷地の一角に学校がありますよね、これはどこの会社が設計されているんでしょうか?

李:くわしくはわかりません、まだ始まっていないと思います。「後現代城」全体で言えば、1、2期の部分はもう竣工しており、3、4期は設計が終わって施工待ちの状態で、その他はまだ動いていないということになると思います。

松:1、2期を見ると外壁の色が黒白グレーが主体だったり、黄色いルーバーを外壁のアクセントにしたりして、デザイン上統一された感じがあるんですが、李さんたちだけが別の設計事務所で同じ住宅地区の一角を設計するようになったわけですよね。施主からはなにか具体的な設計上の要求はあったんでしょうか?

李:ありました。全体の風格は同じようにするという条件があったので、1、2期をみながらとても似せたところもあります。

松:建物高さや大まかな平面形や位置も決まっていたというお話でしたし、全体のデザインの風格も真似るとなると、今回の設計で墨臣さんとして特徴を出したのはどの辺りになりますか?

李:まず各住戸のプランが違います。なぜなら、これだけ大きい土地をデヴェロッパーは入手してマスタープラン立案から計画を始めるわけですが、各住戸プランについては最初から決めているわけではないんです。マスタープランは最初に決めてそれが実行されますが、工期を分けて建設が進んで2年3年と開発が進んでいくにつれて住戸プランはそのときの市場の状況にあわせて調整が入るわけです。そのために各棟のプランが前の1、2期とはまったく違うものになっています。

松:なるほど、なるべく決定を先延ばしにするわけですね。ある意味効率のいい考え方のようにも思います。結果としてこちらで最近設計された3、4期の住宅では大型の住戸プランが多いんでしょうか?それとも小型のものが主流ですか?

李:必ずしもものすごくはっきりとしたものではなくて、いろいろな規模を混ぜてはいます。ただ傾向として、この住宅区の開発が始まったときは小型住戸プランが主流だったんですが、今の段階ではこの住宅区の周りに他のデヴェロッパーの開発した小型住戸も大分増えたし、大型住戸を相対的に増やしています。パースを見てもらうとわかりますが、一部メゾネット住戸が外に片持ちで飛び出していて立面上のアクセントになっています。全体の風格の上では1、2期のオフィス棟と来ているでしょう?ただ中のプランではいろいろ前とは違う処理をしています。特に中国の商品房と呼ばれるこうした民間デヴェロッパーが開発した住宅の場合、面積の上での効率を非常に強く求められます。塔状プランの場合ワンフロアに8戸から10戸が配置されるわけですが、どうやったら採光、通風上無理なくおさまるかを考えることになります。私たちは「空中house」と呼んでいましたが、メゾネット式の外に飛び出す住戸を立面上市松になるように配置しています。これは先端部は吹き抜けになっていて2層がつながっています。また別に2層吹き抜けの外部空間が中に引っ込む形で挿入されていて、ここには一部ブリッジ状に内部空間が貫入していて1層高さと2層高さの混在した外部空間になります。外に飛び出す住戸はもともとの設計では3方向に付けるつもりだったんですが、最終的には施主の判断で南側1方向だけになりました。


3、4期塔状住宅南側外観(左)、2期のオフィスと似せて外観に2層吹き抜けの片持ち空間(「空中house」)を飛び出させている。立面上での配置は市松状で規則的にしてある。このパース制作の段階では1方向だけでなくさまざまな方向に片持ち空間が出っ張っていたようである。断面ダイヤグラム(右)、断面右側の南側に片持ち空間が見える。緑に塗られた部分が中に引っ込んだ外部空間で1層高さと2層高さの空間が混在していることがわかる。上下に貫通している緑色の空間が風筒。

松:外に張り出す方の空間は1、2期でも見られたし、そう目新しいものではないと思いますが、中に引っ込んだ外部空間は、各戸の外部空間としてこういうものがあるのは珍しい設計ですね。エレベータホールなどの公共空間ならこうした吹き抜けを作るのはよく見るけど、プライヴェートで立体的な外部空間というのは新しい試みのように見えます。

李:それから建物の中央近くに2つの風筒をとっています。通風を確保するためのものです。ここでこういう上から下までの吹き抜けを作ることで通風を確保することを意図しています。

松:これは外部空間?いわゆるダクトスペースみたいな室内化された吹き抜けとは違うんですか?このプロポーションだとかなり暗い感じになると思うけれどどうでしょうか…

李:室外です。各階の公共空間の南側に面しています。北側は2層ごとに大きな室内化されたエレベータホールがあります。エレベータホールがある階は各フロアで9戸、ない階は10戸の住戸が入ります。

松:エレベータホールに相当する位置の住戸はまったく北向きということになりますよね。

李:そうです。こういう住戸は1、2期の開発ではなかったんですが、立面と同時に住戸プランを考えているうちにこういうものも出てきたんです。

松:平面形の一辺は何メートルですか?

李:約30メートルで28階建てです。

松:2004年1月から始まった仕事と伺いましたが、方案設計にどれくらい時間をかけましたか?

李:約2ヶ月です。春節もありましたから3月くらいまでかかりました。

松:そのあとの初歩設計は?こちらでは設備や構造のエンジニアもインハウスでいらっしゃるでしょうから、すべて会社の中で間に合うわけですよね?

李:そうです、すべて社内でやります。1ヶ月半くらいでやったと思います。そのあとの施工図設計も1ヶ月半くらいでしょう。

松:じゃあ7月くらいには施工図もすべて上がったんですかね。

李:だいたいそうでした。途中いろいろな手続きがあったり申請業務がありますが、夏には一段落していました。今はすこし手を離れていますね。施主のほうで政府に設計案の確認を取っている段階ですから、おそらくその審査が終わればまた修正などで少しバタバタするはずです。

松:こちらで今回設計された延床面積はいくらになりますか?

李:4棟で約10万平米でした。

松:日本の読者のために、この規模の物件でこちらの会社ですと、どれくらい設計料を取られるのかお教えいただけないですか?

李:それは企業秘密ということにさせてください。

松:例えば建外SOHOの設計料は平米あたり80元程度です。これは日本の設計者の山本理顕さんがあちこちで話されているから日本ではみんな知っています(笑)。業務量から考えてもおそらく中国の協働設計事務所には半分も行っていないでしょう。

李:その単価に比べれば私たちの設計料はだいぶ低いですよ(笑)。

松:平米50元も行かない?

李:そうですね(笑)。

松:今回のこの仕事ではこちらでは方案から初歩、施工図まで設計を一貫して受け持ったわけですよね。方案だけこちらで作ってあとは別の会社が引き継ぐという形での請け負いもありますか?

李:ありえますけどね、しかし北京の仕事ではまずないですね。別の都市の仕事の場合はそういうこともありえます。我々が方案だけ作って、その土地の事情や法規関係などわかっている地元の設計院に初歩設計と施工図設計をお願いするという形ですね。

松:こちらの設計された「後現代城」の一角の施工が始まるのはいつくらいになるんでしょうか?

李:まだわからないですね、政府の許可がおりてからですから。

松:お仕事上いろんなデヴェロッパーとお付き合いがあると思うんですが、こちらのデヴェロッパーは一緒に仕事をする上でいかがでしたか?やりやすいパートナーだったんでしょうか?

李:このデヴェロッパーはかなりいい会社だったと思います。まず相応の専門的な組織ができていたし、それぞれ子会社にわけて仕事を専門分化していました。販売の上でも専門的な能力が長けていると思います。もちろん設計の上では設計サイドの能力も大きく問われるわけですけれども、それを施主のほうで見て設計サイドと連携しながら修正、発展させていく研究部門もしっかりしていました。

松:しかし設計の段階を経るにつれてさまざまな子会社と接触するというのは、設計サイドから言うと面倒なことになりませんか?それまでの過程を分かっている人がいなくなってまた新しい人といちいち話しをしていかなくてはならないわけですよね?

李:子会社どうしの連携はしっかりしていました。まあもちろんおっしゃるような問題もなかったわけではありませんが、そう大きい問題にはなりませんでした。会社全体のシステムは非常にしっかりしていると思います。

松:あとまた別の質問です。この程度の10万平米の住宅物件で、御社ではだいたい何人くらいで取り組むものですか?会社内に構造、設備もお抱えなわけですけれども、建築設計だけに限って言うとどれくらいのチームでやられますか?

李:4−5人のスタッフですね。もちろん増減はあります。忙しいときでそれくらいですし、申請に伴う図面の変更などの段階では人数も減ります。

墨臣の製図室。小学校の校舎を改造しているけど、1人1人のワークスペースがけっこうゆったりしていて快適そうだった。天井は間接照明

松:こちらで設計されたこの物件の販売価格はどれくらいになりますか?

李:2期よりは高くなるはずです。具体的にどれくらいになるかはわかりません、というより竣工したときの市場価格で決まると思います。中国の場合竣工前から販売が始まるんですが、その価格もその販売開始時の市場の状況で決まるでしょうね。

松:施工会社がどちらになるかはご存知ですか?

李:まだ決まっていないと思います。1、2期はすごく短い時間で設計して施工もかなり急いだものでしたが、私たちが今手がけているところは施工開始まで少し時間が空いているので施工会社も1、2期とは変わる可能性があります。普通の中国のこの規模の工事だとおそらく1つの施工会社でなく2つ以上の施工会社にやらせて品質の向上をねらったり価格競争をさせるようなことになると思います。同じ平面形の住宅であってもちがう施工会社に発注することは普通にありえます。

松:外構はどなたが設計されたかご存知ですか?やはりUDSで受けたとか?

李:いいえ、園林の専門設計会社が単独で設計しています。デヴェロッパーともう長いつきあいのある会社だったと思います。確かどこかの外国ランドスケープ事務所の北京支社が担当していたと思います。今そういう会社がとても多いです、特にランドスケープはね。


会社の概況

松:では少しこちらの設計事務所のことを聞かせてください。「墨臣」というこの会社は、今は完全な民営設計会社だとネットで拝見しましたが、もともとはどこかの国家機関の設計院から分かれて出来た会社なんでしょうか?

李:いいえ違います、この会社は最初の設立当時から民営企業です。1995年に設立しました。民営企業の場合、中国では設計資格の認定が国家の管理下にあります。設立当初はそうした資格を取れませんから、華特建築設計院の下部組織の設計部門として始まりました。2002年に建設部(日本の国土建設省に相当)が北京市内の民間建築設計事務所の監査をしたときに、我々はその監査にパスして甲級設計院としての資格を与えられたんです。当時は我々を入れて3つの民間設計事務所に新しく「総合甲級」のライセンスが与えられました。

松:今でも中国ではライセンスを持った設計院を作るのにはそれなりの規模がないとダメで、しかも建築だけでなく構造や設備の専門家もかかえないと施工図を描くためのライセンスは取れませんよね。一方で市場は身動きの早い、建築に特化した設計事務所を求めていて、それで施工図を描く資格はないが、基本的な案をつくることだけは許された「コンサル会社」がたくさん出てきている。中国人の若手設計者も、在北京の外国人事務所もみんなそういう扱いですね。墨臣さんは民間企業から発展してそのようなライセンスを組織としてとられたことに特徴があると思います。もともと所属していた華特設計院というのはどういう組織なんでしょうか?これは国家機関の一部なわけでしょう?

李:やはり民営の設計院です。しかし建設部の下部組織で、株式制の会社だと思います。我々よりだいぶ前にやはり審査を通って甲級のライセンスを取ったはずです。そこを辞めた王暉と頼軍という2人のパートナーが始めたのがこの会社で、2人は今でもこの会社の経営者です。

松:こちらは今何人くらいのスタッフを抱えているんでしょう?

李:設計者は70人程度です、事務方を入れると80人強のスタッフがいます。

松:主にどのような建築物の設計が多いですか?

李:なんでも設計します。今の市場の影響もあって住宅開発が多いですけれども。

松:インテリアやランドスケープはいかがですか?

李:インテリアはやらないですね。ランドスケープは以前自分たちが手がけた住宅地区の外構部分を設計したことはあります。今はやっていないですね。

松:70人のスタッフを抱えた民営の設計事務所というのは、規模としては今北京では多いんでしょうか?

李:いや、多くないと思います。先月ある建築雑誌がまとめた統計で我々の会社の規模は全中国の民営設計事務所で規模でベスト20に入っていましたから、大きいほうだと思います。

松:今の規模を会社自体はどのようにお考えになっているんでしょうか?これからますます大きくなる?それとももう少しスリム化する?どのくらいの規模が今の中国の市場に合致しているとお考えですか?

李:なんとも言えないですね。規模が大きければできる範囲も広がりますが、中国中さがしてもそれだけの優秀な人材がいないというのが実感としてあります。人材の上で制限がなければ仕事はいくらでもありますから大きくしたほうがいいようにも思いますし…。

松:会社の規模は今後どうなるんでしょうか?

李:必ずしもこれより大きくしようとは思っていません。このくらいの規模でしばらくはいくつもりです。

松:会社として設計の方面を特化するお考えはありますか?つまり住宅を主に手がけていきたいとかそういう考えはありますか?

李:会社としては今後も総合性を売りにしていきたいと思っています。実際のところ住宅が多いという事実はありますけれども。

北京墨臣建築設計事務所。小学校の校舎を丸ごと借りして改造して事務所にしている(左)、後ろが校庭だったのがほほえましい。1階受付(中)と1階通路(右)、内装は水を張ったりしてけっこうおしゃれに作ってある。クリスマスの日だったのでいろんな飾り付けがされていた(中写真の手すりなど)

李さんご自身のこと

松:李さんご自身のことをお聞かせください。こちらの会社にはいつからいらっしゃるんですか?

李:私は2000年にこの会社に来ました。もともとの出身は湖南の岳陽です。1972年生まれです。

松:建築はどこで学ばれましたか?

李:清華大学です。学部を卒業して航天建築設計院で5−6年働いてからここに来ました。

松:航天部(航空関係を総括する国家機関で日本の省級に相当)の設計院ですね。ここはどうやって見つけられたんですか?どなたかの紹介ですか?それとも求人広告をご覧になったとか?

李:求人情報を見て来ました。比較的普通な方法を経てここに来ることになったんです。これもなにかの縁なんでしょう。当時は前の職場をやめて、知人の紹介してくれた会社も見たし、ここのように求人で見たまったく知らなかった会社にも接触したわけです。実際にいろんな会社を見てここに決めました。会社のトップの人と会い、仕事の仕方を見た上でこちらに決めたんです。

松:なるほど。

李:私のことばかり聞かれますけれど、今回の「後現代城」のプロジェクトには、私だけでなくほかにもたくさんの設計者が関与しています。私が中心になってまとめたわけですけれども、他にも例えば立面をまとめるのに別の人がいたりしたわけです。組織としてもかなりフラットだし、私もこの通り若くて他のメンバーともそう年も違いません。

松:確かにこういう民営企業だと、みんな若くてそういうことが起こるんでしょうね。もう少し李さんのことを伺いたいんですが、航天部設計院のような国家機関からこちらのような民営事務所にどうして移られる決心をされたのか、そのあたりをうかがいたいです。2000年にこちらに来られたということは、まだこの墨臣という会社は甲級のライセンスもない会社だったわけですよね。

李:中国はその時より前から改革の過程にあったわけです。多軌(複数のキャリアの選択肢がある)状態になっていたわけで、これはあらゆる会社、あらゆる業種に広まっていました。ただし建築設計の世界ではそういう状態が他の業種よりも少し遅くやってきたと思います。改革自体は80年代から始まってさまざまな民間企業が生まれたわけですが、建築設計の世界ではそれがやや遅れた。それでもそういう状態になり、さまざまな会社がさまざまな異なった状態に陥ったわけです。そこで若い設計者はみな自分にふさわしい場所をさがしていったということなんでしょう、私もそういう1人なわけです。

松:まわりの人間と比べて李さんの行動は早いほうだと思いますか?それとも遅いほう?

李:まわりと比べるなら、私の転職はやや遅かったほうかもしれないですね。しかし遅すぎたというものでもないと思います。

松:あなたのような30歳前後の、民営設計事務所に勤務する若い中国の建築家の今後の人生設計はどのようなものなんでしょうか?いずれは独立して自分の事務所を開くのが目的だとか、そういうお考えはありますか?

李:私の希望はもちろんここに居続けることです。あなたが何人の中国の設計者に取材をされたかは存じませんが、私のように1度職場を変えた設計者というのは中国ではまだ多くないと思います。私はそんなにしょっちゅう職場を変えたがるような人間ではないですし、安定した環境でじっくり仕事をしたいと思っています。多くの中国の設計者は私と同じような考えを持っていると思いますけれどね。大事なのは会社がその設計者に仕事の機会を与えられるか、安定した仕事の環境を提供できるか、そういうことだと思います。私はここで働き続けることを希望しています。

松:なるほど、今日はどうもありがとうございました。


李氏。静かに必要なことだけをしゃべる感じの人だった。




インタヴューの前に page top インタヴュー2