(http://www.americanrock.com.cn/PostModern/index.htm) |
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松:以前にその会社とはどんな仕事をされたんですか?
李:それから建物の中央近くに2つの風筒をとっています。通風を確保するためのものです。ここでこういう上から下までの吹き抜けを作ることで通風を確保することを意図しています。 松:これは外部空間?いわゆるダクトスペースみたいな室内化された吹き抜けとは違うんですか?このプロポーションだとかなり暗い感じになると思うけれどどうでしょうか… 李:室外です。各階の公共空間の南側に面しています。北側は2層ごとに大きな室内化されたエレベータホールがあります。エレベータホールがある階は各フロアで9戸、ない階は10戸の住戸が入ります。 松:エレベータホールに相当する位置の住戸はまったく北向きということになりますよね。 李:そうです。こういう住戸は1、2期の開発ではなかったんですが、立面と同時に住戸プランを考えているうちにこういうものも出てきたんです。 松:平面形の一辺は何メートルですか? 李:約30メートルで28階建てです。 松:2004年1月から始まった仕事と伺いましたが、方案設計にどれくらい時間をかけましたか? 李:約2ヶ月です。春節もありましたから3月くらいまでかかりました。 松:そのあとの初歩設計は?こちらでは設備や構造のエンジニアもインハウスでいらっしゃるでしょうから、すべて会社の中で間に合うわけですよね? 李:そうです、すべて社内でやります。1ヶ月半くらいでやったと思います。そのあとの施工図設計も1ヶ月半くらいでしょう。 松:じゃあ7月くらいには施工図もすべて上がったんですかね。 李:だいたいそうでした。途中いろいろな手続きがあったり申請業務がありますが、夏には一段落していました。今はすこし手を離れていますね。施主のほうで政府に設計案の確認を取っている段階ですから、おそらくその審査が終わればまた修正などで少しバタバタするはずです。 松:こちらで今回設計された延床面積はいくらになりますか? 李:4棟で約10万平米でした。 松:日本の読者のために、この規模の物件でこちらの会社ですと、どれくらい設計料を取られるのかお教えいただけないですか? 李:それは企業秘密ということにさせてください。 松:例えば建外SOHOの設計料は平米あたり80元程度です。これは日本の設計者の山本理顕さんがあちこちで話されているから日本ではみんな知っています(笑)。業務量から考えてもおそらく中国の協働設計事務所には半分も行っていないでしょう。 李:その単価に比べれば私たちの設計料はだいぶ低いですよ(笑)。 松:平米50元も行かない? 李:そうですね(笑)。 松:今回のこの仕事ではこちらでは方案から初歩、施工図まで設計を一貫して受け持ったわけですよね。方案だけこちらで作ってあとは別の会社が引き継ぐという形での請け負いもありますか? 李:ありえますけどね、しかし北京の仕事ではまずないですね。別の都市の仕事の場合はそういうこともありえます。我々が方案だけ作って、その土地の事情や法規関係などわかっている地元の設計院に初歩設計と施工図設計をお願いするという形ですね。 松:こちらの設計された「後現代城」の一角の施工が始まるのはいつくらいになるんでしょうか? 李:まだわからないですね、政府の許可がおりてからですから。 松:お仕事上いろんなデヴェロッパーとお付き合いがあると思うんですが、こちらのデヴェロッパーは一緒に仕事をする上でいかがでしたか?やりやすいパートナーだったんでしょうか? 李:このデヴェロッパーはかなりいい会社だったと思います。まず相応の専門的な組織ができていたし、それぞれ子会社にわけて仕事を専門分化していました。販売の上でも専門的な能力が長けていると思います。もちろん設計の上では設計サイドの能力も大きく問われるわけですけれども、それを施主のほうで見て設計サイドと連携しながら修正、発展させていく研究部門もしっかりしていました。 松:しかし設計の段階を経るにつれてさまざまな子会社と接触するというのは、設計サイドから言うと面倒なことになりませんか?それまでの過程を分かっている人がいなくなってまた新しい人といちいち話しをしていかなくてはならないわけですよね? 李:子会社どうしの連携はしっかりしていました。まあもちろんおっしゃるような問題もなかったわけではありませんが、そう大きい問題にはなりませんでした。会社全体のシステムは非常にしっかりしていると思います。 松:あとまた別の質問です。この程度の10万平米の住宅物件で、御社ではだいたい何人くらいで取り組むものですか?会社内に構造、設備もお抱えなわけですけれども、建築設計だけに限って言うとどれくらいのチームでやられますか? 李:4−5人のスタッフですね。もちろん増減はあります。忙しいときでそれくらいですし、申請に伴う図面の変更などの段階では人数も減ります。
李:2期よりは高くなるはずです。具体的にどれくらいになるかはわかりません、というより竣工したときの市場価格で決まると思います。中国の場合竣工前から販売が始まるんですが、その価格もその販売開始時の市場の状況で決まるでしょうね。 松:施工会社がどちらになるかはご存知ですか? 李:まだ決まっていないと思います。1、2期はすごく短い時間で設計して施工もかなり急いだものでしたが、私たちが今手がけているところは施工開始まで少し時間が空いているので施工会社も1、2期とは変わる可能性があります。普通の中国のこの規模の工事だとおそらく1つの施工会社でなく2つ以上の施工会社にやらせて品質の向上をねらったり価格競争をさせるようなことになると思います。同じ平面形の住宅であってもちがう施工会社に発注することは普通にありえます。 松:外構はどなたが設計されたかご存知ですか?やはりUDSで受けたとか? 李:いいえ、園林の専門設計会社が単独で設計しています。デヴェロッパーともう長いつきあいのある会社だったと思います。確かどこかの外国ランドスケープ事務所の北京支社が担当していたと思います。今そういう会社がとても多いです、特にランドスケープはね。 会社の概況 松:では少しこちらの設計事務所のことを聞かせてください。「墨臣」というこの会社は、今は完全な民営設計会社だとネットで拝見しましたが、もともとはどこかの国家機関の設計院から分かれて出来た会社なんでしょうか? 李:いいえ違います、この会社は最初の設立当時から民営企業です。1995年に設立しました。民営企業の場合、中国では設計資格の認定が国家の管理下にあります。設立当初はそうした資格を取れませんから、華特建築設計院の下部組織の設計部門として始まりました。2002年に建設部(日本の国土建設省に相当)が北京市内の民間建築設計事務所の監査をしたときに、我々はその監査にパスして甲級設計院としての資格を与えられたんです。当時は我々を入れて3つの民間設計事務所に新しく「総合甲級」のライセンスが与えられました。 松:今でも中国ではライセンスを持った設計院を作るのにはそれなりの規模がないとダメで、しかも建築だけでなく構造や設備の専門家もかかえないと施工図を描くためのライセンスは取れませんよね。一方で市場は身動きの早い、建築に特化した設計事務所を求めていて、それで施工図を描く資格はないが、基本的な案をつくることだけは許された「コンサル会社」がたくさん出てきている。中国人の若手設計者も、在北京の外国人事務所もみんなそういう扱いですね。墨臣さんは民間企業から発展してそのようなライセンスを組織としてとられたことに特徴があると思います。もともと所属していた華特設計院というのはどういう組織なんでしょうか?これは国家機関の一部なわけでしょう? 李:やはり民営の設計院です。しかし建設部の下部組織で、株式制の会社だと思います。我々よりだいぶ前にやはり審査を通って甲級のライセンスを取ったはずです。そこを辞めた王暉と頼軍という2人のパートナーが始めたのがこの会社で、2人は今でもこの会社の経営者です。 松:こちらは今何人くらいのスタッフを抱えているんでしょう? 李:設計者は70人程度です、事務方を入れると80人強のスタッフがいます。 松:主にどのような建築物の設計が多いですか? 李:なんでも設計します。今の市場の影響もあって住宅開発が多いですけれども。 松:インテリアやランドスケープはいかがですか? 李:インテリアはやらないですね。ランドスケープは以前自分たちが手がけた住宅地区の外構部分を設計したことはあります。今はやっていないですね。 松:70人のスタッフを抱えた民営の設計事務所というのは、規模としては今北京では多いんでしょうか? 李:いや、多くないと思います。先月ある建築雑誌がまとめた統計で我々の会社の規模は全中国の民営設計事務所で規模でベスト20に入っていましたから、大きいほうだと思います。 松:今の規模を会社自体はどのようにお考えになっているんでしょうか?これからますます大きくなる?それとももう少しスリム化する?どのくらいの規模が今の中国の市場に合致しているとお考えですか? 李:なんとも言えないですね。規模が大きければできる範囲も広がりますが、中国中さがしてもそれだけの優秀な人材がいないというのが実感としてあります。人材の上で制限がなければ仕事はいくらでもありますから大きくしたほうがいいようにも思いますし…。 松:会社の規模は今後どうなるんでしょうか? 李:必ずしもこれより大きくしようとは思っていません。このくらいの規模でしばらくはいくつもりです。 松:会社として設計の方面を特化するお考えはありますか?つまり住宅を主に手がけていきたいとかそういう考えはありますか? 李:会社としては今後も総合性を売りにしていきたいと思っています。実際のところ住宅が多いという事実はありますけれども。
松:李さんご自身のことをお聞かせください。こちらの会社にはいつからいらっしゃるんですか? 李:私は2000年にこの会社に来ました。もともとの出身は湖南の岳陽です。1972年生まれです。 松:建築はどこで学ばれましたか? 李:清華大学です。学部を卒業して航天建築設計院で5−6年働いてからここに来ました。 松:航天部(航空関係を総括する国家機関で日本の省級に相当)の設計院ですね。ここはどうやって見つけられたんですか?どなたかの紹介ですか?それとも求人広告をご覧になったとか? 李:求人情報を見て来ました。比較的普通な方法を経てここに来ることになったんです。これもなにかの縁なんでしょう。当時は前の職場をやめて、知人の紹介してくれた会社も見たし、ここのように求人で見たまったく知らなかった会社にも接触したわけです。実際にいろんな会社を見てここに決めました。会社のトップの人と会い、仕事の仕方を見た上でこちらに決めたんです。 松:なるほど。 李:私のことばかり聞かれますけれど、今回の「後現代城」のプロジェクトには、私だけでなくほかにもたくさんの設計者が関与しています。私が中心になってまとめたわけですけれども、他にも例えば立面をまとめるのに別の人がいたりしたわけです。組織としてもかなりフラットだし、私もこの通り若くて他のメンバーともそう年も違いません。 松:確かにこういう民営企業だと、みんな若くてそういうことが起こるんでしょうね。もう少し李さんのことを伺いたいんですが、航天部設計院のような国家機関からこちらのような民営事務所にどうして移られる決心をされたのか、そのあたりをうかがいたいです。2000年にこちらに来られたということは、まだこの墨臣という会社は甲級のライセンスもない会社だったわけですよね。 李:中国はその時より前から改革の過程にあったわけです。多軌(複数のキャリアの選択肢がある)状態になっていたわけで、これはあらゆる会社、あらゆる業種に広まっていました。ただし建築設計の世界ではそういう状態が他の業種よりも少し遅くやってきたと思います。改革自体は80年代から始まってさまざまな民間企業が生まれたわけですが、建築設計の世界ではそれがやや遅れた。それでもそういう状態になり、さまざまな会社がさまざまな異なった状態に陥ったわけです。そこで若い設計者はみな自分にふさわしい場所をさがしていったということなんでしょう、私もそういう1人なわけです。 松:まわりの人間と比べて李さんの行動は早いほうだと思いますか?それとも遅いほう? 李:まわりと比べるなら、私の転職はやや遅かったほうかもしれないですね。しかし遅すぎたというものでもないと思います。 松:あなたのような30歳前後の、民営設計事務所に勤務する若い中国の建築家の今後の人生設計はどのようなものなんでしょうか?いずれは独立して自分の事務所を開くのが目的だとか、そういうお考えはありますか? 李:私の希望はもちろんここに居続けることです。あなたが何人の中国の設計者に取材をされたかは存じませんが、私のように1度職場を変えた設計者というのは中国ではまだ多くないと思います。私はそんなにしょっちゅう職場を変えたがるような人間ではないですし、安定した環境でじっくり仕事をしたいと思っています。多くの中国の設計者は私と同じような考えを持っていると思いますけれどね。大事なのは会社がその設計者に仕事の機会を与えられるか、安定した仕事の環境を提供できるか、そういうことだと思います。私はここで働き続けることを希望しています。 松:なるほど、今日はどうもありがとうございました。
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