(http://www.newhorizon.com.cn)
インタヴューの前に―オーストラリアの鏡像  
物件データ
インタヴュー1
インタヴュー2
インタヴュー3
インタヴューを終えて


●インタヴュー1

相手:劉虹(中国側設計事務所、北京維拓時代建築設計有限公司第一建築工作室主任、
1967年内モンゴル自治区包頭生まれ)
場所:北京維拓時代建築設計有限公司第一建築工作室(朝陽区朝陽門外道家村)
日時:2004年2月25日


維拓時代設計院はペキンの東四環にあり、建物外観は古い建物をピンク色で塗りなおした少しくたびれた建物で、昔の国営設計院であることが容易に見て取れた。最初に電話で劉さんにアポをとった時から、事務スタッフの電話の応対がのんびりしていたのが昔の国営企業の雰囲気を残している感じだったし、実際に設計院を訪ねると入口に社内の卓球コンペのお知らせが貼ってあったりして、その勘が裏付けられた感じがした。設計室の内装も古い建物に簡単に手を入れただけの、つまり、まああまりとんがっていない風。
ところが劉女史にお会いするとだいぶ印象が違った。革ジャンを着て気負いなく話す感じは、国営企業の幹部というよりは現代的なスマートな女性管理職であるように思われたし、彼女が私にくれた会社資料もパースがふんだんに盛り込まれた派手な感じのもので、人や印刷物だけをみるとオフィスの雰囲気と大分違うなあと思ったものである。


会社のこと

松:「錦秋知春」の販売資料から、こちらの設計院があの物件の施工図を手掛けたことを知りました。プロジェクトの直接の責任者である劉さんに今日は話を伺いに来ました。最初にこの設計院のことを紹介いただけますか?

北京維拓時代建築設計有限公司外観、朝陽区の東四環にある(左)。設計室の様子(右)。

劉:私たちの設計院はもともとは北京市紡績局の下部組織で、北京紡績工業設計院という組織でした。紡績関係の工業建築を主に設計していたんですが、紡績業自体の下火もあってあまりうまくいかず、85年から民用建築の設計に関わり始めました。90年代の末に名前を「維拓時代建築設計院」に変えて、これは英語の「victory star」の中国語への直訳ですが、再出発しました。その後株式制に移行してからは「有限公司」というふうに名前が変わったというわけです。
 (資料を示しながら)私たちの実績は各種の建物に渡っていて、オフィスビル・住宅区・ホテル・文化施設となんでも設計します。内装部門もあるので建築だけでなくインテリアも手掛けます。それから我々の特徴は、海外の設計事務所の中国側協働者として、非常に多くの海外事務所と協働していることです。「棕櫚泉国際公萬」は今のペキンの最高値の部類に入る高級マンションで、販売価格は平米2000アメリカドル前後、シンガポールのDPアーキテクツとの協働です。「遠洋天地」はアメリカのHOKとの協働ですし、「北京東方太陽城」はアメリカのササキアソシエーツとの協働です。

松:ああ、あのオリンピック会場の緑化コンペを取ったランドスケープ事務所ですね。

劉:そうです。彼らの、恐らく中国の一番最初のプロジェクトは、私たちとの協働だったんです。

松:そういう協働というのはどうやって始まるものなんですか?そちらが直接外国の設計事務所と関係があって協働を持ち掛ける?それともデヴェロッパー経由で話が来るんですか?

劉:私たちは実績がありますから、それを見てデヴェロッパーが話を持ってくることが多いです。

松:しかし、ペキンにはそれこそ膨大な数の設計組織があるじゃないですか。その中で、どうやって最終的にこちらの会社が中国側の施工図設計の協力会社として選ばれているのでしょう?

劉:最終的には入札のときもありますし、実績と人から決まるときもあります。担当スタッフの学歴や経験などを細かく見るデヴェロッパーもいます。

松:協働設計する外国の設計事務所との契約関係は発生しますか?

劉:いえ、私たちは直接施主であるデヴェロッパーと契約関係を結びます。外国の事務所と施主はまた別に契約をしているのです。

松:例えば、住宅地区の設計では、海外の事務所との業務の分担はどうなりますか?HOKとの「遠洋天地」でもいいですし、「錦秋知春」でもいいんですが。

劉:どちらのプロジェクトでも重要なのは、戸型(各戸プラン)のスタディとその具現化ですね。外国人には中国人の生活習慣がわかっていませんから。やはり、最終的には私たちが細かいプランをまとめることになります。あとは申請業務。御存知だと思いますが外国事務所だけでは北京での建設の認可が下りませんから、それを我々の名前でやることになります。つまりどんな海外の建築家の仕事であっても、中国に敷地がある以上、私たち中国の設計院が施工図を描くということになるわけです。
 私たちの会社の仕事について戻りますと、他にもドイツのGMP、オーストラリアのDCMとの協働などもあります。今回話題の「錦秋知春」はオーストラリアのCOXとの協働です。他に私たちは、「回龍観文化居住区」計画では経済適用房のような比較的廉価で面積の大きい物件に関わっていますし、「京棉新城」というプロジェクトでは東四環にある北京で、最大規模の危房改造(密集住宅地区の再開発)の施工図設計をしています。悪環境の平屋が密集している地区を再開発して、住宅を高密度化してからもとの住人を戻らせる事業で、一部建設ももうはじまっています。ただ資金繰りがうまくいっていなくて、図面は完成したんですが建設は3分の1に手をつけたところで止まってしまっています。

松:あとの2つの「回龍観」と「京棉新城」はこちらの設計院だけの仕事ですよね。

劉:そうです、どちらもコンペでとったものです。

:どれも大規模の計画ばかりですが、この設計院でどのくらいの人が働いているんですか?

劉:従業員は約150人いてそのうち120人が設計人員です。構造設備景観内装と全ての専門家がいます。建築が5つの工作室、構造が2つ、機械設備が2つ、電気が2つで計11の工作室があります。こういう体制になったのは2001年からで、それまでは専門ごとにわかれる体制ではありませんでした。仕事が増えたので能率向上のために組織改革したんです。

松:各部門で独立採算ですか?プロジェクトを多く抱えた部門の人間の方が給料も多いとか。

劉:いえ、そこまでははっきり別れていません。多少の独立性はありますが、私たちが忙しければ他の工作室に仕事を回すこともありますし、あくまで11の工作室全体で1つの組織です。仕事が多いところは給料も多くなりますが、ものすごく多くなるわけではありません(笑)

松:劉さんご自身は、ここでどれくらい働いていらっしゃるんでしょう?

劉:私は67年生まれで、ハルピンの建築工程学院(現建築工程大学)の修士課程を91年に修了後、北京市設計院で働きはじめました。99年末に誘われてここに移ってきました。


劉虹室長。ご自分の席にて。

松:そうなんですか、ヘッドハントみたいなことだったんでしょう。ペキンの若い人の人材の流動性は高いなあと思わされることは多いんですが、劉さんくらい経験のある方で、いわばもう管理職をやられているわけですよね。そういう方の転職って多いんですか?

劉:北京院は大きくて歴史のある組織で、やはりいろんな情報が集まってきます。あそこで8年近く働くといろんな経験を積めます。ですから転職の機会も結構ありました。私くらいの経験者が転職するというのは、珍しいことではないと思いますよ。


プロジェクトのこと

松:「錦秋知春」は2000年から始まったと聞いていますから、劉さんがこちらの設計院に移られてからすぐこの仕事が始まったんですか?

劉:そうでした。

松:どうして、そもそもオーストラリアの設計事務所の計画がペキンで実現することになったんでしょう?最初その案を見てどう思われましたか?

劉:私も詳しくは知らないんですが、デヴェロッパーが香港の友人を通してCOXを紹介されたというようなことを聞きました。
彼らの案の特色は曲がった住棟平面です。ああいう曲線の住棟は、ペキンではたぶんこのプロジェクトが初めてだと思います。COXの案は外部緑地の配置など魅力的だと思いましたが、この曲線平面をどうやって各戸型に置き換えるかが当時の一番の問題でした。結局私たちは戸型設計において、各個室を四角に保って台形状のスペースでそれを繋ぐという風に曲線平面を翻案しました。もともとのオーストラリア側で作った戸型は、四角い部屋がなくてすべてが連続したような開放的なプランでした。しかし、これだと中国では売れないという見方がデヴェロッパーの中であり、我々の考えがそこで支持されたということになります。

曲線平面の低層棟住戸の平面図。南東側のリヴィングと南西側の主寝室の間に台形状の書斎が確保されている。購入者によってはリヴィングとの間の壁をなくすのも可能とパンフレットには書いてある。

松:そうすると、どこかでそちらが作られた戸型に関しての施主の評価があったんですね。それは計画のかなり初期の段階ですか?

劉:2000年の4−5月頃にデヴェロッパー、販売コンサルとの協働を始めたと記憶しています。まだこの時は契約関係にはなくて、サービスするような形で仕事をしていました。その時に私たちで簡単な戸型平面を作って施主に見せたところ、それが気に入られたんです。
2000年末にはクライアントとの正式な協働が始まりました。初歩設計に数ヶ月かけて、そのまま施工図設計まで進めました。COXの方案設計はとても概念性が高かった、つまりあんまり具体的なものではなかったので、施工図へ移行するための仕事量は膨大なものでした。他に外国の事務所と協働したケースと比較してもかなりの仕事量だったと記憶しています。

松:COXの仕事の進め方で、他の外国事務所と違う点がありましたか?協働の際の彼らの特徴は何だったでしょうか?

劉:彼らは立面をどう作るかに非常に意識を割いていましたね。平面というより立面。まあこれは各ユニットの平面は結局我々に作らせようと施主が考えていたこともあって彼らは立面に意識を向けざるを得なかった、という事情もあります。あとはそうですね・・・全体としてはCOXの方案設計は非常にラフなものでした。例えばドイツのGMPは方案設計の段階で非常に細かいところまで指定してきます。こうなると私たちもある意味やりやすいんですが、今回の場合かなりの部分で私たちが独自に進めた部分も大きかったです。

松:なるほど。こちらで引き継いだ初歩設計以降の仕事量がとても多かったと。

劉:特に初歩設計のあとの施工図設計の仕事量が多かったですね。そのこともあって工区をわけて設計施工しました。一度にすべての施工図を描くのではなく、まず1−2号棟の図面を描いてそれを施工しながらのこりの3−9号棟の施工図を描くということになったんです。

松:施工図製作段階でのオーストラリアとの関係はどのようなものでしたか?

劉:平面と整合のとれた立面図を描き終えた段階で、オーストラリアにそれをメールで送りました。それを向こうで出力して着色したものが送り返されてきました。彼らは図面の修整はしましたが、図面を新規に描くことはありませんでした。私たちもこの時期オーストラリアに1週間行って、向こうの人と直接打ち合わせをしてきました。その時やはり立面をどうするか、とくに立面の金属部分の詳細をどう作るか、ということを中心に打ち合わせたことを覚えています。最初に向こうから返って来た絵はガラスが多かったので、コストと断熱の面からそれを減らしたりするのでいろいろ調整しました。


COX事務所から送り返されてきた立面彩色図。ガラスの部分が大きく、実際はこのあとガラス面積をだいぶ減らして施工図として完成させたという。

松:既製品の選択はどうされていましたか?今のペキンの住宅だとイタリアの厨房家具とかドイツの空調機とか、ブランドを強調して販売しているじゃないですか。そのあたりオーストラリアの方から要望があったりしたんでしょうか?

劉:いや、そのへんの既製品のブランド選択については、デヴェロッパーが値段をみながら決めていました。

松:COX事務所はどれくらいの規模の組織なんでしょう?

劉:7−80人のスタッフがいる事務所で、シドニーのほか、メルボルンにも支部を構えていました。フィリップ・コックスをあわせて計3人のパートナーがいて、このプロジェクトは実質もう1人のフィリップ・グラウスが担当でした。彼の下にマレーシアからと中国からの移民のスタッフがいて、彼らと多くを打ち合わせました。



フィリップ・コックス(左)、1967年にシドニーで事務所を開設後、オーストラリア各地に現地事務所を持ち、シドニーで80人、全オーストラリアで200人のスタッフをかかえる事務所にまでなった。コックスによる最初のサイト・スケッチ(中)、高層棟を曲線平面の低層棟でつなぎ、かつ円形に囲まれた外部広場を作ろうとする考えがうかがえる。同じく初期スケッチ(右)、低層棟を階段状にして各戸に十分な日照をとろうとする考えとのこと。

松:COX事務所は工事中は現場にどれくらい来ていたんでしょうか?

劉:概念設計を始める時は来たんじゃないですか?一番最初に現場を見に。後はオープニングの時にパートナーのクラウスさんが来てましたね。

松:直接こちらの事務所がCOXと連絡をとられていましたか?それとも契約関係がないとすると、連絡は全てデヴェロッパー経由ですか?

劉:最初はデヴェロッパーから連絡を取ってもらっていましたが、立面のやりとりなどは直接コンタクトしていました。


どこがオーストラリア?

松:この広告に使っている透視図ですが、最近はコンピュータ作図が一般的なのに敢えて手書きの図を使っているのは、やはりCOX事務所の意向だったんでしょうか?

劉:これはいつもCOX事務所がパースを製作してもらっている、オーストラリアのアーティストによるものです。敢えてこの絵を使いました。元になるコンピュータの図面はこちらから提供しているんですけどね。実はこの絵は少し敷地の長さを強調しています。そのままのスケールだとかなり上から覗き込まないと棟間の緑地が見えてこないので、少し比率をいじって緑地を強調しているんです。

手書きのパース(左)とCG(右)

松:あー、なるほど。先程1−2号棟の施工図を先に描いたと伺いましたが、施工の開始は・・・。

劉:2001年7月から主体工事部分の施工が始まりました。2002年7月には入居が始まりました。

松:他の住宅に比べて売れているようですね。この前モデルルームを見に行ったらほとんど空きもないし、地区の中にも比較的活気があったと思いました。

劉:戸型がいいので売れているようです。板状に近かった高層棟をL型に変えたのも良かったようです。高層棟はさらに私たちからの提案で2層ごとに吹き抜けの公共部分を作っています。これも効果があったようです。分譲価格平米9800元というのは今のペキンでは中高級クラスですが、売れ残っているのは200平米を超える大型住居部分だけです。低層部に一部そういうところがあります。高層部はかなり早く完売しました。

松:COXさんとはもちろんこれが初めての協働なんでしょうけれども、劉さんのところではこのデヴェロッパーとかつて一緒に仕事をされたことはあるんでしょうか?

劉:以前にも別の仕事があったようです。私は知らないですが。その後はまだ別の仕事はないですね。

松:ちなみに住宅面積18万平米のこの物件で、施工図設計の設計料はいくらくらいだったんでしょうか?

劉:契約の方は私はよくわからないんですよ。一般的な額だったと思います。設計料は今は色々ですね。平米40元というのもあるし、120元というのもあります。

松:建物についてなんですが、劉さんから見てこの住宅のどこが一番オーストラリア風だと思われますか?あるいはどこにオーストラリアの建築家がやった特徴が出ていると思われますか?

劉:それは立面の金属工事とか、ルーバー部分だと思います。シドニーではルーバーが当たり前のように多用されているし、そういうところがこの建築にも適用されていると思います。

松:屋根にも結構鉄骨が使われていますよね。細部の設計もしっかりしていると思って見ていたんですが、あの辺の細かな設計も設計院でコントロールされたんですか?

劉:鉄骨部分は広東省のファブがやっていまして、彼らが構造設計からジョイントの施工図まで描きましたが、こちらから最初に要望を出して今のようにできたんです。あちらに模型があるでしょう(と言って、部屋のロッカーの上におかれた模型を指差す)。あれは図面がある程度できた段階で我々自身で作ったスタディ用の模型です。立面が曲線でかつ凹凸も多かったので、ああいうものを作りながらどこに金属工事を入れるか検討したんでした。

高層棟にとられた吹き抜け部分のパース(左上)。曲線プランの低層棟に鉄骨屋根が載る(中上)。立面スタディ用の模型。白のケント紙で作っていた(右上)。各戸のベランダはガラスの手すりだが端部が一部スチールルーバーになっており、室外機を隠せるようになっている(左下)。高層棟の角にはルーバーの箱が付いていて室外機置き場に想定されていたようだが、実際はそういう箱のついていない別の窓のそばに機械が取り付けられているところもあった(右下)。

松:室外機置き場もルーバーで隠してあったりして、結構細かく対応されたことがわかります。

劉:オーストラリアは室外機なんかないんですよ。空調をあまり使わないで、通風を確保するようにしているからなんでしょうか。その代わり、私たちから見ればルーバーなどの陽を避けながら風は通すという要素が発達している感じがしました。室外機置き場が必要というのはなかなか向こうに理解してもらえなかったようで、こっちで工夫したんです。立面はいろんな凹凸や金属工事との取り合いも複雑そうだったので、模型を作ってスタディしたりしました。立面の一部に穴をあけて建物を通り抜けられるようにもしました。これはマスタープランにも良かったみたいです。棟間の緑地どうしが連結されての相互の関係が強くなりましたから。

松:なるほど、気候の違いが建築の作り方にも当然反映されているわけですが、その辺の「翻訳」が大変だったということなんでしょう。今日はどうもありがとうございました。


インタヴューの前に page top インタヴュー2