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インタヴューの前に―北京で徳式生活
物件データ
インタヴュー1
インタヴュー2
インタヴューを終えて


●インタヴュー1

相手:馬森(中国側設計事務所、方略建築設計有限責任公司設計総監、1963年湖北省生まれ)
場所:方略建築設計有限公司(「北京印象」1号棟5階)
日時:2003年11月6日

方略建築設計院は「北京印象」の中にオフィスを構えていた。最近引っ越してきたばかりで、内装したばかりの新しいオフィスで数十人がコンピュータに向かっていた。設計部門の責任者である馬氏は気さくな方で、電話をしたらいつでも訪ねてきて構わないという話だった。組織の話から設計時の話まで、ざっくばらんに話していただいた。


ドイツ側との協働まで

:今日は「北京印象」のプロジェクトの中国側の設計者として馬さんを訪ねてきました。実はここに来る前に、「時代建築」誌の2003年2月号のあなたの文章(“北京印象的啓示”)も読んできました。ここでもドイツ人との設計体験について紹介されていますね。彼らの建設実現へむけての能力の高さ、コストのバランス感覚などを賞賛していましたけれども。

:そうです。彼らから私たちはいろんなことを学びました。

:最初にあなたたちの設計院のことを教えてください。もともとはどこかの国家機関に属していた組織なんでしょう?

:そうです。「方略」という名前に変わったのは実は最近です。それまでは「九三建築設計研究院」という名前の設計院でした。中国は共産党のほかに九三学社、民盟団のような八つの民主党(共産党の指導下で活動する野党)があります。我々は「九三学社」という党派の下の設計院でした。党派は1944年に成立したものですが設計院自体は90年代初頭に成立しました。最近は政企分離の流れがあって我々の設計院もこの組織から分離独立して名前を変えたのです。同時に株式制に移行していくつかの企業が本社の株を保有しています。九三学社が今でも最大の株主で30%を保有していますけれども。

松:政治と企業の分離というなかで新しい形態の設計院が生まれたということですね。でどうしてあなたの会社がドイツの設計事務所と協働することになったのか、また「北京印象」のデヴェロッパーとどのような経緯で協働することになったのか、そのあたりの経緯を教えてください。

:ドイツの方とは、うちの副総経理がドイツのミュンヘン芸術学院に留学したことがあり、そのときにドイツ人建築家オットー・ステーデル氏の学生だったんです。そんなことで関係が生まれました。2000年末にこの住宅区のコンペがあったんですが、そのころたまたまステーデル氏は旅行で北京に来たんですね。そのときに我々の間で交流してこの設計案が生まれたのです。

初期のステーデル氏によるサイトプラン・スケッチ。ジグザグに折れる低層棟、それを突き抜ける貫通道、高層棟で囲われた庭、などのアイデアが見られる。

:2000年末にコンペがあって、そのあとはどういうスケジュールでしたか?

:11月にコンペの結果が出て我々が勝利して、01年3月まで3ヶ月ほどかけて方案を整理して、そのあと施工図を半年くらいかけて描きました。2002年1月に着工して2003年8月末に竣工です。施工は1年と8ヶ月ということになります。

:どの段階からドイツ側とは協働を始めたんでしょうか?

:11月コンペの段階からです。提出時には、すでに彼らのアイデアが活かされた配置図になっていました。コンペには我々のほかに北京の設計院4社が参加していました。北京市建築設計院などです。当時の問題は大きく2つありました。1つは敷地面積が6haだったんですが、ここの敷地の南側がオリンピックの競技場の敷地に決定して、西と南の道路沿いに50mセットバックした緑化帯をつくらなければいけない、という条件が出てきたことです。すでにデヴェロッパーは土地を入手した後で、かなりの面積を緑地として提供しなくてはならいないことになったわけです。結局建設できる面積としては4.5haくらいまで縮小されたことになります。最初は市政府の側から緑化帯は100mセットバックと言われたんですが、それだとかなり厳しいので協議でなんとか50mまで縮小してもらったと聞いています。つまり敷地の縮小の問題があったということ。2つ目の問題はこの1つ目のことから出てきたんですが、建設コスト、地価、販売価格のバランス上、この敷地面積だと小さすぎて販売価格を高くせざるを得ないのではないかというのが、市場調査の結果浮上してきたのです。西四環のこのあたりの最近建設された住宅の販売価格は5-6000元/平米程度ですが、この価格、つまり中級の商品房の設定ではこの敷地面積だとうまくバランスしない。もともとたいして大きくない敷地に、緑化帯のせいで実質敷地面積がさらに減少してスケールメリットがなくなる。そこでもうこの面積だと7000元/平米の、高級の部類に入る商品房でないとコストが回収できないのではないか、とデヴェロッパーは考えていたようです。
 ほかの設計院のコンペ案はみな比較的価格設定の低い住宅、4000元/平米前後のグレードで考えて非常に単調な配置計画案だったんですが、我々はコンペの最中にたまたまステーデル氏が北京にやって来た。そこで彼に案を考えてもらって、他とはまったく違う平面図を作ることができたんです。デヴェロッパーはこれを気に入って、外国人の協力を得てドイツ風の高級住宅というテーマで住宅をつくれば、他と差異化できるのではないかと考えたようです。それで我々の案が選ばれました。まあ売値も上げられる代わりにコストも上がりますから、施主にしてみればリスクも大きくなるわけですけれども、賭けにでたわけですね。

マスタープラン、左側に西四環が通り50mの緑地帯のセットバックが取られている。南側も幹線道路で30mの緑地帯が同じく取られている。東西にジグザグに走る4層の建物に南北にV字型をした10層前後の高層棟が噛みあう形。ジグザグをつっきる真ん中の遊歩道(図面上で白く左下から右上に延びている)も案の特徴になっている。

:なるほど、そうするとコンペの時から協働があったということになりますね。クライアントの方はどういう体制だったんでしょうか?

:金都という大きな投資グループがあって、その下にこのプロジェクトのために世紀景源というデヴェロッパーが子会社として作られました。我々はこの世紀景源を施主として仕事していました。

:設計契約は方略と世紀景源との間で結ばれたということですか?ドイツ側との契約はどういう風に結ばれたんでしょう?

:我々と世紀景源との間で設計契約が結ばれて、ドイツ側は施主とは契約関係にはありませんでした。我々とドイツ側の間は「勉強」の関係です。私たちはドイツ側からいろんなことを学習したのです。

:確かに最初の人間関係が先生と留学生からだとすると、「勉強」なんでしょうけれども、具体的にドイツ側と設計院の間での関係はどうなっていたんでしょう?そこでは契約関係があったわけでしょう?

:いえ、仕事上の関係はありませんでした。金銭的なやりとりはありません。これは会社間の関係ではなく、個人的な人と人のつながりでやっていたので。

:しかしこれだけの大きな仕事をそれだけの関係でやれるものですか?

:ステーデルさんの事務所は、ドイツではそういうものが多いと聞きましたが、建築設計専業の事務所です。構造や設備は外注しています。日本もそういう事務所が多いんでしょう?我々の事務所は建築設計だけで30人、構造も設備も内部に抱えていて、併せると全部で50人ほどになります。ドイツ側からは建築設計の部分のみ指導を受けました。構造と設備は、私の考えではそんなに簡単に国境を越えられない。ステーデル事務所にインハウスの専門家がいなかったということもありますが、この2つはその国の国情に大きく左右されます。つまり習慣的な工法や材料、法規などで支配される要素が大きいので、逆に外国からの意見を聞いていると効率が悪いと判断しました。ドイツは鉄骨造が多いけれど中国はRCが住宅建設の前提になる、設備は市場に出回っている機器が地域によって違うし法規の縛りが大きい、などです。ドイツ側の人員がこちらに来るときもすべて旅行者としてきただけで、そのついでにいろいろ建築部分に関して指導してもらうという形でした。

:つまりドイツ側には金銭的な謝礼とか、交通費とか、そういうものもまったく払っていないということですか?

:そうなります。

協働作業の実際

:ではもう少し具体的に、実際にどのような形で中国側とドイツ側が協働作業をされていたのか伺いたいですね。例えばこの住宅区の配置は北京ではかなり独特で、東西に低層棟が伸びていて、それに高層棟が垂直に噛みあいながら配置されている。各棟は少しずつ角度が振られているから三角形の中庭や外部空間ができるというわけですけれども、こういうアイデアはドイツ側で作られたんでしょうか?

:ステーデル氏が初めて北京に来たとき、それは個人的な旅行でお子さんも連れて来たくらいだったんですけれど、そのときに一緒に考えてこの配置を作ったんです。そのときの最初の模型があります(スタディ模型を見せてくれる)。ここに至るまでにもちろん我々でヴォリュームのチェックをいろいろしていました。そういうスタディを経て、ステーデル氏が来てこの案を産んでいってくれたんです。
 ドイツ側からはいろんなことを学びました。1つ目はマスタープランの考え方、2つ目はドイツの現代住宅の基本状況、3つ目は材料の使い方、4つ目は施工技術の基準、5つ目はディテール設計で、このうち最初の2つは施工図作成までの段階で、3つ目以降は現場施工が始まってからいろいろ教わったんです。まず我々で案を作って施主との調整も済ませておいた上で、ドイツ側に意見をもらう、そこで直せるところは直して、さらに案として発展させていく、またそれを施主に確認する、そういうことの繰り返しでした。配置についてもまずこちらで法規、数字上のチェックをしておくわけです。

:金銭的なやりとりがない上でどういう協力がありえたのか、まだよくわからないなあ。デヴェロッパーのパンフレットを見るとステーデル氏は何度か北京とドイツの間を往復し、400枚以上のファクスをやりとりした、とありますが。

:中国では人と人の関係、個人の関係がとても重要です。今回我々の間では、副総経理がドイツに留学していたということもあって、こういう個人間の関係が成立したんです。会社と会社どうしの関係ではコンペ前後からすばやく協働するのは難しかったんじゃないでしょうかね。

初期スタディ模型と馬氏

:質問を変えましょう。一部の住戸で、一部通路側に玄関とは別にドアがついていますよね。リビングから直接公共通路に出られるような窓が別にある。あれは非常に変わったものだと思うんですが、ああいうのはドイツ側からの提案だったりするんですか?例えば廊下との開放性をあげるとか、パーティの時に廊下も使おうとか、そういう考えがあったんじゃないかと思ったんですが。

:いえ、あれは単に廊下側の窓で、それを床から立ち上げた大きさにしたのでドアにも見えるだけのことです。北京では住宅が国家単位から無償で提供されていたころ、特に80年代に居住密度を上げようとしていたときには、塔楼の形式が主流でした。エレベーターが当時は高価なものだったという理由もあります。センターコアで塔の平面形をしているものですね。これは住宅が「無償で会社から配られる」時代であれば問題ないですが、「金を払って自分が購入する」時代になると南北の方位の違いで差が大きくなり、販売上問題が出てきてしまいます。そこで最近の商品房はほとんどが板楼の形式が主流になっています。私たちのこのプロジェクトでは、2つの板をV字型に近接させて、その間に室内化した中庭を設けています。この2つの板楼は、片廊下で、北京の一般的な板楼よりは薄いので、「薄板」と我々は呼んでいました。松原さんがおっしゃったような窓というかドアは確かにありますが、あれは単なる住居の廊下側の窓が大きくなっただけのものです。廊下が室内化された中庭に面しているから、単なる北側窓よりは有用かもしれませんね。

廊下とリビングを直接つなぐ掃出し窓のある住戸の例。リビングのテーブルの後ろに廊下の側に開いた掃出し窓がある(上左)、廊下側から見た掃出し窓、なお窓上部にシャッターが仕込んであって必要なら閉めることも可能(上中)、廊下側から見た一般の玄関入口(上右)。


廊下側に掃出し窓のある住戸のプラン例、このタイプでは左側が共用廊下で、左側ほぼ中央に外開きの玄関入口があるほかに、下のダイニング(餐庁)の左側に廊下に抜ける引き戸が描かれている(左)


:各住戸タイプの平面にはどこまでドイツ側の意向が反映されていますか?

:各タイプはほぼ中国側で作りましたね。こういえると思います。公共部分はドイツ側の意向に沿って作られ、各戸はほぼ中国側だけで設計したと。例えば2枚の「薄板」で挟まれた室内化された中庭空間は、ドイツ側の意向が比較的入ったところです。ああいうスペースが住宅にあるのは、中国ではめずらしい。ただし、各住戸タイプの平面などは我々が実現化しています。

V字に高層棟が組み合わされて作られた室内化された中庭内観

:じゃあ、もう少し小さいレベルの話をしましょう。例えばこの物件の開口部について。サッシュのほかに開閉部分には、網戸とロールブラインド、折り畳みのオーニングが外側に付いているし、1階の住戸にはさらにすべてに防犯用のシャッターが付いています。それらが統一のディテールに収まっていて、このあたりは北京の一般の物件よりだいぶ充実した窓まわりになっていると思います。このあたりはドイツの方で、例えば提案があったり、ディテールについてチェックがあったりしたんですか?

外観詳細。網戸、オーニング、シャッター、ロールブラインドが外側に取られて一体化しているのがわかる(左)、1階では防犯用シャッターが白いボックスに仕込まれているが大仰でなくすっきりと作られている(右)

:いえ、そうした部分についてはこちらで設計しました。そこまで細かい部分はドイツ側に特に何かチェックをしてもらったりということはないです。

:じゃあ、あのディテールはどこから生まれたんですか?

:こちらでドイツの住宅建築の写真をたくさん見て研究したんです。開口部についてはいろんなことを学びました。今言われたような窓まわりの様々なアイテムは、ドイツでは工業化が進んでいるので組み合わされて一体化して製作され、現場で取り付けられます。ところが中国ではそうはいかない。窓サッシュと網戸とブラインドとオーニングとシャッターはそれぞれ別のメーカーです。この組み合わせがきちんといくように管理しないといけない。それから、この窓枠固定にはきちんと下地金物を使っていて、取り付けをすべて乾式で行っています。こういう乾式工法、部材の標準化、工業化というのはドイツから学んだものです。

:具体的に詳細図をやりとりしたり、チェックを双方でかけたりという関係ではないと。

:そうですね。そこまではさすがにやれていないですよ。

参考にしたというミュンヘン郊外にあるステーデル氏設計の住宅写真。壁の色分けや開口部の形状は似ている。ただ屋根や庇、屋外バルコニーなどの要素は採用されていないようだ。

この仕事のあと

:そちらの設計院は、このデヴェロッパーとは今回がはじめての仕事だったんですか?それ以降の関係は続いていますか?

:この仕事はコンペで取れたものなので、初めてでした。そのあと、今は我々は同じデヴェロッパーのオフィスビルの仕事をやっています。10万平米の物件です。方案設計と施工図設計の両方をやっています。もう躯体が8割くらいできています。ステーデル氏はやはり同じデヴェロッパーの仕事で、別の10万平米のオフィスビルの仕事をやっています。彼らは第1期の方案設計だけで、我々が第2期の施工図設計をする予定です。最近着工しました。

ステーデル事務所が同じデヴェロッパーの依頼で作ったjunyi hochhaus計画案、2001年

:「北京印象」ではドイツ側にフィーは発生しないということでしたが、これらの新しい業務ではどういう契約関係があって、設計料はどう設定されているんでしょう?

:外国の事務所の場合、彼らの仕事量に合わせて施主と設計事務所が合意すれば、その金額がすなわち設計料になります。中国の会社である我々には、国家で決められた標準の設計料のレートがあって、それに基づいて支払われます。ドイツ側にとってみれば、最初は観光がてら中国の設計事務所を指導したおかげで、そのあと仕事につながったということになります。最初の仕事は無償でしたが、2回目ではそれなりの収入になったでしょう。いいデヴェロッパーを見つけることが今の中国では一番のチャンスなのです。我々の友人でもう中国に10年いるフランス人の建築家がいますが、彼はまだ1つもここで大きな仕事をできていない。一方ステーデル氏は初めは観光で来て、3年後にはもう10万平米のオフィスビルの仕事が来た。こういう結果もすべて人のつながりですからね。

:ステーデル事務所と九三設計院の協働の設計案は、他にもいくつか雑誌などで目にしていました。「北京印象」の機会を通してドイツ側も別の仕事を得たわけですけれども、馬さんの側ではどうですか?この「ドイツ風の」仕事を通して、会社としては何かいいことがあったんでしょうか?

:「北京印象」以前の我々設計院の仕事は、地方都市の、かつ経済適合房と呼ばれる販売単価が3000元以下のものが主流でした。ところが最近は北京の仕事が多くなり、商品房やオフィスビルのような単価の高い仕事も増えてきました。ドイツ側からもこれを機会により協働をしたいという話があって、人材の交流をしようか、という話がでているところです。設計院のスタッフも「北京印象」のころからの人間がずっと残っていて、固定度が高いです。今の新しいオフィスに移ったのもつい1ヶ月前ですが、最近では就職希望者も来るようになったんですよ。

:特に今の中国では若い人材の流動性が高いから、それは強みですよね。この新しいオフィスも「北京印象」の中にあるわけだからいい宣伝になるんでしょう。確実にステップアップされているということですね。今日はどうもありがとうございました。

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